肩書について考える。
人間の性として、有名組織出身者や海外生活経験などが肩書であると、圧倒されて内容を信じ込んでしまう。何しろ俺自身がその傾向がある。その俺が言うのも何だが、それは間違った情報の読み方だ。
言うまでもなく、経歴が凄い人(以下「強歴者」と略)は所属先の各組織の評価が高いのであって、その人自身の能力や人間力が高確率で良いわけではない。
例えば会社で応募者から採用者を決めるとする。もし学歴、職歴、業績で能力が正確に測れるならば、それらが全部書いてあるはずの履歴書だけで採用不採用が決められるはずだ。現実では履歴書の上では強歴者であっても、面接で質疑や実践問題を使って能力を判断する。自慢の能力が売り文句通りか、達成業績が本当に当人によるものか、実際の確認をする。誰でも履歴書上で多少は経歴を飾るものだ。つまり、実業の世界では、紙の上の肩書経歴業績は、文字通り「絵に描いた餅」だと認識されている。言い換えれば、「強歴」と「能力」の相関は(ほとんど)無いという前提なわけだ。
だが、テレビのコメントやネットの記事では「強歴者」肩書で読み手に信じやすい先入観がどうしても生まれてしまう。上記面接では実業だし採用側の立場も強く、また採用者の質が自社に影響するためより真面目に審査するため騙されにくいが、メディアやネットの利用では直接金も絡まないし、皆脇が甘い。著名な経営者等、誰もが知っている業績のある人、文句のつけようがない権威等以外は、本当は先入観のない状態で疑い深く読む必要がある。ウソばかりとは言わないが、間違えているかもしれないし、知ったかぶりかもしれないし、最もありそうなのは何らかの「演出」なのかもしれない。番組ではよくあることだ。そして悪いことではない。
でないと、今回の感染症騒動で起きたように、海外に住んでいるというだけで事情通を称しながら間違い情報をたくさん垂れ流した多くの出羽守とか、専門外の医者とか、訳知りっぽい人達が沢山出てきて、しかも議論が割れて、結局変なことを信じ込んでしまう恐れがある。俺もそうならないよう、自戒を込めてこれを書いている。
もちろん、「強歴者」記事には良い情報もあるだろう。しかし結局総じて玉石混交だ。
なぜなら、例えば、上記の通り昨今の感染症で防疫予防に関連し様々な記事や意見が「輝く肩書」の人達から出たが、彼らの意見は割れて時に正反対の意見も多かった。つまり「強歴者」達の主張は一致していなかった。ということは、半分位は間違っている可能性がある。つまりこれは玉石混交状態だ。対立する意見がすでに出てきているわけだから、自分で判断することになる。という事は、強歴に慄いてしまって判断すべきではなく、正しい判断のための姿勢としては、「意見のみの正当性」を問う見方が良い。
例えば、マスクが本当に予防に効果があるのか。無いという医者や学者も多い。一方で絶対必要という立場の医者や学者も大勢いる。双方俺から見ると強歴者ばかり。そして両方とも正しい可能性は低い(つまりどちらかが間違えていそう)。ワクチンも、ロックダウンも、強歴者の間で両論蔓延っている。
玉石混交であれば、通りすがりの名無し記事でも信憑性はそれ程変わらない。つまり、情報は全て出来るだけ慎重に、騙されないよう疑り深く、先入観なく読む必要がある。強歴に慄いている場合ではない。
ところで俺は求職中(無職)で良い事はあまり無いが、無職ゆえブログに肩書が無いし業務に関連してヒモ付きでないと分かり易いというのが、こじつけだが、良い点だ。という事で、この投稿も疑い深く読んでくれ。どうだろうか。