理系と文系について考える。
今更だが、理系がもてはやされている。俺が理系か文系かは気にしないでくれ。最初に断っておくが、当然、学問分野に「上下」や「善悪」は無く全て平等だ。だがそのような建前?は本日は脇においておく。
実業で「理系知識」や「数学的思考」が重要視されており、「最早文系は不必要な学問」とか、「もっと理系を増やすべき」等という主張が蔓延る。逆張りで「人文系は絶対必要」論陣を張る人もいる。どちらもある程度、商売で煽っているに過ぎない。扇動されないように注意だ。進路を決める場合は様々考慮に入れるだろうが、究極やりたい学問をやれば良い。
だが、人気の無い?分野も大切だから大学等に残せと外部がいうのは勝手な論法だ。
以前、需要の減少している路線や駅の維持を求める非合理性を投稿したが、それと同じだ。
唐突だが、ここ数年、旧国営の鉄道各社は、特に地方で、路線減や廃駅等がよくニュースになる。そういう報道では、決まって路線が通っていて駅のある自治体や、そこの住民が反発し、経営陣が、時間をかけてでも合意に持っていくため、釈明したり代替提案したりして苦慮している。俺はそれら鉄道会社の株は持っていないが、報道を見る度に、何だかいたたまれなくなる。不便になる地元の人達や該当自治体が不憫じゃなく、投資家としてはその鉄道会社をよく使う顧客と、従業員達と、株主が気の毒だ。安全対策とか、優秀な人材の確保とか、他に重要な仕事があるだろうに、こんな圧力への対応に時間を割かれてしまっている。
学問は何でも大切だから「あるものは全部維持しろ」といっても、学生や実業からの需要が無い分野への教育資源を長年維持するのは非合理的だ。従って教育機関も資源を人気分野に集中するが、そういう教育機関は非難できない。なぜなら教育も事業の側面があり、自身の存続が第一だ。いくら崇高な理想があっても、実際授業できなければ机上の「空論」ならぬ「空教育」だ。ましてや税金が投入されている日本の大学はある程度は需要に応える責任がある。逆に言うと、もし補助金を得ずに不人気学問教育を信念で維持できるならば、文句は言われない。
理系と文系に話を戻すと、異論あるだろうが、日本では教育者の質というか実績に差があるのでは?と思ってしまう。また、社会からの評価も差がついているように感じる。
なぜなら、自然科学は日本にも世界的な学者がいるが、それに比べて人文系や社会科学は極めて少ない。日本人ノーベル賞受賞者は物理とか化学とかが圧倒的だ。そして、有名教授に教わらなくても、就職で学位を活かすという面でも理系が圧倒的だ。理学部工学部の知識前提で採用活動する企業と人文社会系学部の知識をアテにした学生を戦力として計算し採用する企業と比べればわかる。つまり日本では理系教育の方が価値のある学位を得られるのではと学生が推測するのが自然だ。俺の勝手な思い込みかも知れないが、人文社会系統というのは商売や事業に活かしにくいから、採用側としても避けるバイアスが働くのは自然だと思う。
だが、実際はなぜか文系学生が多い。これは需要なのか、それとも非合理思考の結果なのか、またまた理系自体が嫌われているのか、俺にはわからない。乱暴に言うと日本では何らかの理由で文系教育が幅を利かしていて、それ故日本は可能性のある若者が、相対的にレベルの低い文系教育機関に多く送り込まれ、知能開発に無駄が多いんじゃないか。どうだろうか。