凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。
突然だが、やんごとなき方々関連の結婚について、メディアの報道が盛り上がって?いる。
俺は時々ラジオ番組を聴くが、ある番組が一旦中断して、会見のニュースを入れて、しかも会見をしばらく中継していたので、驚いてしまった。別にそれ程緊急性もないのに…
ところで、それに関連し、事実でない報道や誹謗中傷について、またそれによる対象者の心身への影響も議論になっている。確かに重要な問題だ。だが、週刊誌とかテレビ等の報道機関をいくら非難しても、状況は改善しない。
というのも、何を以て良い報道とか良い記事とするかは、基準が曖昧だ。取材対象の所有物を漁るとか、脅迫まがいの取引をするとか、違法行為をしてまでスクープを求めるのは行き過ぎだが、そうでなければ「どこまで踏み込むか」は各社そして記者各自の自己判断ということになる。特に突然の遭遇状況などでは瞬時に判断しなくてはいけないから、問題も起こりがちだ。生中継も絡むとなると、後で取り消せないし、大問題になる可能性もある。とにかく判断基準が大切になる。
では、自己判断で、合法性以外に、何が最重要視されるか?
それは当然、視聴者や読者の需要だ。なぜなら、報道機関も営利事業をやっており、経済効率が悪ければ自身の存続に関わる。
そして、今回の結婚騒動に関する報道は需要があるようだ。つまり日本国民の多くが、興味津々なのだ。だから、そこへ報道資源を投入するのは経営判断としても合理的だ。そして競争に勝つために「踏み込み」が過激になってゆくのも自然だ。
また、報道機関の顧客?である読者視聴者の「嗜好」を制御するのは好ましくないし、そもそも大変難しい。有名人・著名人の興味本位の噂話というのは古今東西需要があって、それを変える方法は無いだろう。
だから、好む好まないに関わらず、メディア取材は過激さを増す宿命だ。逆に、「踏み込み」「行き過ぎかギリギリの取材」がなくなるには、人々の興味が薄れれば良い。だが、国民の象徴である一家のよもやま話?だから、普通に考えれば興味は尽きない。特に今回は「対象」がわかり易く「キャラが立っている」ので、記事や番組も作りやすい。
投資家としてはどうだろうか。
俺は日本のメディアには投資していないが、民衆の需要を無視した、あるいは逆張りで別の無害な報道に賭ける様な経営陣だとしたら、甚だ業績が不安だ。一方、違法行為まがいの報道で稼ぐのは控えたほうが良いと考えるのも合理的だ。
経営陣にとって株主は顧客(視聴者)とともに無視できない存在だから、行き過ぎた報道で人権が踏みにじられている状況を憂うならば、報道機関の株主になって是正したらどうか。過度の圧力は問題だが、人権問題であれば受け入れられやすいだろう。
しかし、よく考えるとこのネット社会、報道問題というのは最早既存のメディアだけでは無く個人レベルでも起こるから、やはり需要がある限りは改善の希望はないのだろうか。立ち入り過ぎといえば、例えば、「有名人の誰々が、どこどこでこんな人と会って、あんな事を話していて、こんな事もやっていた」というのは雑誌やテレビのゴシップ記事・番組の雛形であるが、いまやそれに遭遇すればSNS等で同じことが個人でできてしまう。メディアに負けないくらいのアクセスを集められる。つまり個人の投稿に報道問題と同様の事情がある。
やられる方としてはこれを取り締まりたいが、中々制御も難しい。投稿プラットホーム提供側も、あまりに自主規制がかかり過ぎると自分達のメディアの価値を下げる恐れもある。加減が難しい。どうだろうか。