凡人(求職中) の素人視点なので疑って読んでくれ。
突然だが、「地頭」という単語を最近よく見かけないだろうか。
俺の思い過ごしかもしれないが、「地頭」なるモノを題材にした投稿や、小論や、果ては出版物など、あちこちで見る(気がする)。
「地頭の良さとは何か」から始まり、「地頭の良い人とは」、「地頭を鍛えるには」、「地頭の差」等々、まさに「地頭ビジネス」が横行している様に見える。少し流行しているのかもしれない。皆、自分の「地頭力」みたいなのに不安な気持ちがあるのだろうか。
定義のはっきりしない、得体の知れない言葉とそれを題材とした派生物は、ほぼ「無内容」「無意味」、従って「無視」が原則だ。おそらく時間の無駄だ。「無意味」というのは「既によく知られている原則」だから改めて費用をかけてまで再納得する必要はないという意味だ。
こういうのは、ネタに困った人達がすでによく知られている事柄でひと儲けするために使っている(と思われる)。例外、つまり本当に意味のある新たな真実もあるかもしれないが、そういうのは生き残るので、いずれ必要に応じて勉強すれば良い。例外があるからと言ってすべてをカバーしようとするのは非合理的だ。
ここからは「地頭」という言葉のバカバカしさについて述べる。
「地頭」の定義は様々だが、俺なりに集約すると、要は「自分で考える」「なるべく頭を使う」という事だ。俺が間違っているかもしれないが、そうしないと話が進まないので、この要約集約が正しいと一応、仮定する。
そんな事、言われなくても皆、すでにわかっている。
「自分で考えるのは馬鹿らしい」という主義の人は世の中にどれだけいるだろう。もしいたらこの主張が目新しいかもしれない。だが普通は、高い本を買ったり、何が言いたいのかよく分からない(あるいは難解で分かりづらい)が文字数は多いネット記事を読んだり、果ては遠くまで出かけていって講演を聞いたり、時間費用みたいなのを払って個人面談を受けてアドバイスを受けたりする程の内容ではない。
なぜなら人間なんだから、考えるのが自然、当然だ。多くの場合で面倒だからやらないことも多いだけの事だ。「どう考えるか」も大事かもしれないが、是非は難しい。地頭が良ければ絶対正しい考え方が出来るとでも言うのならば、いよいよ「地頭ビジネス」の怪しさが増してくる。しかし、少し流行しているということは、この「地頭」という言葉に、前述の様に何か人を惹き付ける魔力のようなものがあるんだろうか。わからない。
「地頭」の説明では「知識、経験、機転の良さでなない」思考力みたいな記述も多かった。
これを真に受けるのは考えものだ。だって、機転の良さは別にして、「知識」や「経験」が無くて、どうやって考えるのか。そもそも効率的な「地頭」思考法が仮にあったとして、それはすでにレッキとした知識だ。また、大発見をした数学者や物理学者は、既知の研究成果や予備知識無くして大業績を成し遂げたとでも言うのか。大体、「前提知識のある思考」と「(殆ど)無い思考」で分けるのがそもそも間違えている。それだけでなく、知識、経験、気転、知恵、等々を頭の中で分けられるような説明をする時点で既に怪しいと思う。普通は相互に絡み合っているんじゃないのか。人間の頭脳というのは少なくともその程度には複雑だろう。
という事で、俺の個人的意見だが「地頭」ビジネスに少しでも影響されるのは愚かだ。君も気をつけてくれ。ただ、1つ言えるのはこの意味のない単語で一儲け出来る人達は、商才が多少はあるかもしれない。どうだろうか。