なぜ、新卒就職面接で虚しい定形質問や大喜利が行われるのか

2021-11-20 投稿

労働

面接での定形質問や大喜利について考える。

凡人(求職中) の素人視点なので疑って読んでくれ。




「学生時代に打ち込んだことは何か?」
「座右の銘は何ですか?」
「自分を〜に例えると何ですか?」
「〜と苦情を受けたらどのように応答しますか?」
「今までの人生で一番〜だった出来事はなんですか?」

今日も日本中で繰り返されている新卒者への定形面接質問だ。

就職面接に於ける「実績」のあまり無い(あるいは成績がどちらかといえば悪い)俺が言うのも何だが、このような新卒面接というのは双方にとって実に難しい。

まず、応募する方は本音で応答していたらおそらく落とされるから、マイナスを避けるように必要以上に猫をかぶるかもしれない。ゲスい考えだが多くの場合は心にもない事を、場合によってはまったく自分の考えとは違ったり、信念に反する事を言うだろう。まぁその辺りは中途採用でもそういう面があるのは否めないが…

また会社側としては、面接の建前は「応募者の能力」を見極める事だ。しかし当然ながら限られた時間では非常に難しい。

職種に必要な技能を質疑応答で確かめられればまだ良いが、技術職以外では究極は偏った面接官による主観判断、つまり能力というよりは、「見た目の印象」とか「頭の回転」とか「その瞬間の受け答えの上手さ」等など…のみに流される。というかその他に判断のしようがないともいえる。だって実績とか仕事に使えそうな能力とかはまだ無いか、良く言っても未知数過ぎて試すのは難しい。

従って、冒頭の様な「意味の無い」、あるいは、就職試験にしては「奇妙な」、まるで「お見合い」かのような、質問になってしまう。

なぜこんな事になったのか。

俺が思うに非常に単純だ。

新卒といえども正社員採用なら簡単にクビにできない。かといって学生だから殆どの応募者には「特筆すべき技能や業績」があるわけではない。だから性格とか人間性?を見るしかない。

つまり何とか組織の秩序を乱さなくて、そこそこ使えそうな人間か、を「面接官の主観」で見極めるために、職種がどうとか、会社に貢献できるかというより、最悪40年面倒を見ても良い人間なのか、40年間社内に居ても面倒を起こしたり他の邪魔にならないか、あの手この手で変な質問になるのだ。一度入社したら長年面倒を見るから、大変リスクが高いのだ。「お見合いのような質問」と述べたが、まさに「お見合い」のような面談だ。お見合いするとなればこのさき何十年も懸かっているわけだから、受け入れるためには簡単に判断できない。

会社としても大喜利とか哲学的質問とかお見合いの様な質問とかをせずにはいられない。だからといって、大喜利でそのような内面を判断できる訳では無いが…だって自分をトラに例える学生とネズミに例える学生とカブトムシに例える学生がいるとして、どうやって選ぶのか。それとももしかしたら何らかの人事統計でもあるんだろうか。「トラに自分を例える学生は要注意」みたいな…

逆に言えば簡単に見切れるならば、ドンドン入れてダメなら入れ替えが可能だから、非常に基本的な例えば専攻知識とか、大学の成績とか、一般常識とか、IT知識とか、語学力とか、位の合理的な基礎能力確認に注力できる。その場で確かめやすく、座右の銘やら得体の知れないサークル活動自慢よりはマシだ。学生もその方が報われる努力をしやすいし、割り切って就職活動できると思う。また、このご時世だと40年お世話になろうと思う学生も少なくなってきている(だから面接側からそう見られると引いてしまう)と思うからその方が双方にとって合理的だ。どうだろうか。

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