一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
どうでも良い?かもしれないが、木曜日は米国では祝日「感謝祭」だった。
日本でもいつからか木曜日の夜から始まるセール「ブラックフライデー」に便乗?した売出しが行われている。オンライン中心だが、店舗でもそこら中でやっている。アマゾンが本国のやり方を商機として持ち込み、負けじと日本各社が対抗している感じか。
俺個人も、今回ThinkPad購入で、基本値段は気にしないといいながら、レノボのセールを待った。言い訳になるが昨年の経験から、年末にかけてほぼ全てのモデルが大幅に値下げされるだろうと思っていたのが理由だ。だが物流や在庫がこの時期のセールに影響され、感染症の混乱もあり、購入の顛末は先日の投稿で書いたが結果大成功とは言えない。本当に欲しいモノやサービスがあれば価格はそれ程気にせず、必要時に、必要なスペックで、すぐに注文というのが今回の教訓だ。
元々必要だったモノを偶然セールで安く買う「商品→値段」の順ならまだ良いが、大売り出しだと「値引き率→商品」の順になりがちで、何が買えそうか探す時間も浪費となりやすい。せめて、必要な商品だけの値引き率を参照できれば良いが、偉そうに言っている俺も広告に思わずつられてしまう。巨大IT各社、EC各社は普段の履歴等からユーザの需要を調べており、広告に絶妙な商品を出してくる。とにかく合理的な買い物は難しい。
だが、「本当に必要なモノ」等というのもまた非常に難しい。
俺は「ThinkPad」が本当に必要だったのか?突き詰めると必要というより欲しいから買っている。なぜなら12年落ちのデスクトップで大抵は用足りる。
例えば「生活必需品」というが、無くても何とかなる。削りに削って最後に残るのを「本当に必要なもの」というのは非現実的だ。そんな愚かな修行は自称ミニマリストがやる事だ。
つまり簡単に言うと本当に「必要な」ではなく本当に「欲しい」モノは買える範囲で買う事になる。
だがしかし、「本当に欲しいモノ」等というのも、判断は簡単ではない。だから、合理性を突き詰めると堂々巡りというか迷宮に入ってしまう。俺の勝手な見方だが、この迷宮入りした人達の一部の成れの果てが自称「ミニマリスト」や「反資本主義・半成長主義」の方々となっていると感じるが、如何だろうか。
まあ極端な人たちはいいとして、一般的には、欲しいモノやサービスが、それなり?に必要そうで、値段が現実的であれば、購入を積極的に検討する。それなり?というのは究極、理屈100%とはならないのはやむを得ない。
超富裕層になったつもりで偉そうに考えてみると、「最終処分しやすい」という条件も入る。なぜなら、処分で手間をかける時間が惜しい。飲み食いのように物理的に消費出来てしまったり、映画鑑賞やスポーツ観戦みたいな後に残らないサービスは処分済みなので良い。あと、購入時に価値のあるものやあとから価値が高まりそうな骨董とかは避けたい。この類は処理できればまだ良い方で、多くは荷物を増やしたり、保管場所を取ったりするだけの負債に成りかねない。惜しむことなく、直ぐに捨てられるモノが理想的だ。
だがそれで常に買っていたらキリがないので、このような「季節性の売出し」商機が良い購入機会に成り得る。経済成長の王道、消費も促す。
余計なお世話だが、「反成長主義」を貫き環境のためとかいって節約倹約に励んだり、「季節性の大イベントは大資本商業主義に踊らされている」として家族や友達にも会いに行こうとしない「逆張り」も一興だが、若いうちは何とか乗り切れるにしても、来年、再来年、それが本人には無理なく20年永続したとしても、その時はすでに地域では有名な「不審者」や一族内の「厄介者」とならないか、俺の思い過ごしかもしれないが心配になってしまう。どうだろうか。