凡人 (求職中) の素人視点なので疑って読んでくれ。
唐突だが、超富裕層はテレビを観るのか。
俺は超富裕層を目指すとして、少しは観る。主にお笑い番組、視聴時間は週に2時間、多くて3時間位。ニュース、スポーツ、ドラマ、映画、お笑い以外のバラエティ、等々はほとんど観ない。以前は人並みに多くの人気番組等を観ていたが、最近特に視聴時間は激減している。理由は簡単、最早観る必要も無いし、観たいとも思わない。観るのも面倒だ。
他の超富裕層も、TVの視聴時間とか直接の統計は無いかもしれないが、殆ど観ていないだろうと容易に推測できる。
なぜなら、俺はそこまで徹底していないが、一般?の超富裕層は「ビジネス」とか「勉強」とか「健康」とか「趣味」とか「社会貢献」とか、に「繋がる」時間の使い方を非常に大切にする(ようだ)。受動的なTV視聴はそれにはほとんど効率よく繋がらない。
また、それらに繋がるように時間を使っていたら、テレビを観る時間は無さそうだ。
テレビにも有用な情報はあるかもしれないが、思い立った時に放送されているとは限らないし、有限な放送時間では掘り下げるのも限度がある。結局、テレビ視聴以外の方法を最初から模索するのが合理的だ。テレビが強いはずの報道にしても、ネットには同様の理由で勝てない。
ここまでを纏めると、超富裕層はテレビは何らかのヒモ付きでなければ、殆ど観ていないだろう。
話が逸れるが、ヒモ付きというのは、アマゾンの創業者がプライムの番組を観たり、ソフトバンク創業者が福岡の野球チームの中継を観たりといった事だ。まぁビジネス理由だ。合理的だ。
それはいいとして、超富裕層以外の人は、果たして視聴しているのだろうか。
乱暴に、簡単に言うと、どんどん観なくなっていると推定される。
そんな中でも、一番のテレビの支持者は、老人だ。これは異論あまりないだろう。
特に今の日本の老人世代というのは、若年から老年前までにかけて、テレビ全盛だった、「テレビ世代」というのもあるのか、テレビをよく観る。そしてそれ故にテレビを信用している。
日本の老人の支持は、例えば平日の午前中は「ワイドショー」だ。というか、ほどんどのチャンネルがワイドショー的な番組をやっている。待合室とか、公共の場で映し出されている事もあるので、俺も稀に目にする。
そこでは、俺から見ると視聴者をバカにしているとしか思えない演出を行っている。
まず、バカでかいパネル?とか画面に、単純な要点のみを大きい字で表現し、それを繰り返しバカ丁寧に説明している。俺から見ると洗脳の一歩手前だ。観ている方を観察すると、一歩手前というより洗脳されていそうだ。
また、時にそのパネルは各所がポストイットみたいので隠されており、文章を読み進むのに合わせて司会者等がめくっていく。最初隠すのは何の意味があるのか。バカにされている気分だ。
そして、専門家でもない出演者が演出に合わせたマヌケな発言で意向を補助する。
では、午前はいいとして、午後は何を放送しているか?
同じだ。殆ど同様の無価値ワイド系番組だ。
では、夜はどうだろうか。
多少エンタメ味が付けられて雰囲気は変わるが、同じだ。相変わらず大きいパネルとか、ポストイット方式とか、発言用出演者が脇を固める。
遅い時間や深夜になると、多少挑戦的というか、変わった番組もある。老人は寝てしまっているからだ。
俺の個人的感想だが、なぜ老人相手としても、こんな人を馬鹿にした番組制作なのかというと、老人はこれでどうやら満足しているのだ。この方法というか演出じゃないと内容が入ってこないのかもしれない。演出介護だ。いや介護演出か。どっちでもいい。
だが、老人向けには良いかもしれないが、介護を必要としない他の層にとっては超富裕層とか関係無く、無価値だ。自分で布団から起き上がれるのに前から抱きつかれて起こそうとされたって気持ち悪いし、嫌な気分になるだけだ。自分で食いたい物を料理して食べたいのに、味気のない病院食を出されて喰えと強制されても気が滅入るのだ。そもそも不必要な介護は究極の時間の無駄だ。誰得状態だ。
この様な思考停止の番組構成は、テレビ世代老人が健在な内は、またそのような老人が多数派を占める間は、続くだろう。なぜなら、テレビ局は商売でやっているから、多数派に迎合せざるをえない。しかし、日本はその状況は長期間続きそうだから、この介護問題は終わりがない。どうだろうか。