電力需要逼迫について考える。
現在進行の問題だが、東京電力管内の「電力需給逼迫」が取り沙汰されている。寒さによる主に暖房のための需要が高まり、それに対する供給増が追いつかない可能性もあるということだ。この投稿の時点、夕方の需要が多くなると見込まれている。という事で「灯火規制」のような節電要請が報道されている。暖房の設定温度がどうとか、こたつの調整だとか、冷蔵庫を弱めにするとか、テレビやパソコンがどうとか、さまざまな工夫を呼びかけている。
自然エネルギーの中でも太陽光というのが主流らしいが、元々分かっていた事として改めて考えてみると、太陽光発電というのは少なくともこのような状況に弱ということが判明した。
というのも、なぜ22日に電力逼迫の予想だったかというと、まず天候が良くない事により、気温が非常に下がる予想だった。つまりとても寒くなるからみんな暖房を使うので、電力需要が高まる。
そして、天候が良くないという事は、つまり太陽光発電の発電量も下がる。つまりその分の供給も下がる。
という事で、当たり前だが「需要と供給の両方」に、太陽の照り具合が、逼迫の方への圧力となるのだ。だから、なにか改善策が無いと、特に冬は太陽光への依存は不安な宿命がある。今後は他のエネルギーを整備せざるをえない。それが何かは意見が色々だろうが、国民が決める。とにかく太陽光に依存する限りは、大昔の天候祈祷の様に、無事に極寒を乗り越えるには太陽や空へ祈る位しかできることがなくなってしまう。
ところで、電力需要の逼迫というのは、富裕層や資産家にどのような影響があるだろうか。
先に結論を書くと、ネットの情報ではどうも金持ちや資産家だからといって電力危機を上手く逃れるというのはほぼ無いらしい。確かに、もし米国中部辺りで電力問題があったとして、バフェットの家だけが煌々と明かりがついているということは無さそうだ。
一般的に考えても、電力というのは地域や自治体単位で整備される社会基盤であり、大規模な発電所を所有してそこから電力を得て、また発電資源をその倉庫に山積みにして、いかなる電力危機をも乗り切るような施設を持つのは非現実的で、尚且つ、仮にある金持ちがそれが可能だとしても、実際やるのは非合理的だ。なぜなら費用がかかりすぎるのに、極寒需要危機はせいぜい年に数回、コスパが悪すぎる。
だが考えてみると、最近は家庭用の蓄電池なるものがある(らしい)。らしいというのは俺は家に装備したことはなく、ネットで時々見たり稀に所有する一般家庭を見かけたりする程度でよく知らない。もしかしたら蓄電池はこのような危機に決定的な差をつけるアイテムなのだろうか。
ネットで調べてみると、100万ちょっとで13.5kWh(4人家族の1日分)の蓄電池を装備できる。これで長い目で見てどれくらいの差がつくかわからないが、今回の寒波による電力逼迫が1日だけだとしたら、一応充分に危機対応できる。100万円だから富裕層や金持ちしか手が出ないという事は無い。
ただし、賃貸住宅やタワマンなどでは入れたくても簡単にはいかないようで、推測するにほぼ持ち家、しかも一軒家の持ち家の対象商品だ。だから富裕層とか上の階層が得をする商品というより、生活がギリギリとか困っている人たちには中々行き渡りづらいのでそこが割を食うとも言える。ということは、現在の電力供給構成だと、防寒対策・電力需要逼迫対策視点からは、富裕層や資産家とそれ以外に差がつくというより、貧困層や低所得者層と中流以上との格差が付いてしまうということになる、誠に厄介な問題が露呈した。どうだろうか。