学生服騒動について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更であるが、都下のとある「学生制服製造販売店」において、一時、需要に追い付かないかもしれない、つまり入学式までに制服が間に合わないかもしれないという事態が発生した。報道によると学生服というのは言っても結構まだ国内で作られているらしいが、原材料等もあるし多少は感染症やウクライナ危機などの様々な影響で供給網の効率が悪かったのが一因でもあったらしい。本当のところはどうなのかよくわからない。
入試というのはいつ頃合格発表があってどれ程の日程の余裕が「進路決定」から「入学式」までにあるのかよく知らないが、まぁ1ヶ月弱といったところか。この期間に全国で一斉に数十万人分の新たな制服需要が出てくる。それは考えようによっては非合理的だと思うがその是非はいいとして、今までこれでやってきたわけだから最近になってこのような事態になったとすれば何かが最近になって変化しているということなのか。わからない。とにかく需要が数週間に集中するわけだから製造元の対応が難しいのは自明だ。そして学校の制服というのは小中高の普段着や体育着や様々な分野で注文がある。
それはいいとして、このような事態になると必ず報道では「もっと子供の気持ちを考えてほしかった」とか「入学式までの納品を遂行できないとはけしからん」という論調になる。確かに、事前に注文を受けた限りは納期を守るのは製造販売業の宿命だ。
だが俺は「学生服の製造販売会社」に同情してしまう。
少子化が進む日本では明らかに市場縮小が分かっており、学校や学生対象であるからそれほど儲けを追求しにくく、学校や親からの要求は年々厳しくなり、注文から納品までが極端に短期間で計算しにくく、普段問題ないときはそれほど感謝されないが、いざ今期のように問題があると悪の権化のように非難される。しかも、昨今制服というのは画一性非難の対象でもあり、一部の人からは制服文化自体も批判的に見られてしまう。
俺が経営者だったら、リターンが見合っていないから即座に廃業する。それとも、学生服というのは思いの他オイシイ商売なのだろうか。そうとでも考えなければやっていられないような事業環境に見える。
また、今回のような混乱は充分に有り得るから、注文の時点で経済状況によっては「入学式までに納品できる保証はありません、その場合は何の責任も負いません」という契約にしたい。あるいは、事前に少量在庫にしておいてそれ以上は売らないようにする。そんな販売店には客がつかないかもしれないが、商売でやっているのだから事業合理性を追求して当然だ。
あるいは、制服を時期を守って納品する費用に見合うだけの値段で売れるのでなければ、他のモノを売ったほうが良い。もし「うちの息子の制服がどこでも買えないんです、困っています」と言われても、無い袖は振れない、慈善事業じゃないから納品できる「強い」確証がなければ断るしかない。あるいは高い料金を払ってくれる人を優先するというのもあり得るだろう。格差拡大の一因だが、商売をやる方も客が厳しくなってくれば自分たちも厳しく対応せざるをえないのではないだろうか。
もし本当に「制服製造販売」が上記の想像通りの厳しい経営環境と市場の見通しならば、いずれそれを支える経営者、製造販売会社がなくなって、海外に製造を全面委託する。今のような制服文化はやがて無くならざるをえないのではないだろうか。逆に言うと、制服くらいは国内で作ったものが良いと言うならば、ある程度の鷹揚さが必要だ。
こういうのは何も制服製造販売に限ったことではなく、人口減少、縮小経済思考、低価格信仰、倹約どケチ主義、等などの影響が日本中のありとあらゆる商売に波及していく。そして普通は因果関係があるから、誰か一部の人達、悪の秘密組織みたいな奴らが後ろで糸を引いているのでない限りは、国民の選択の積み重ねの結果と考えるのが妥当だ。もちろん直列直結してはいないが、今後はこのような「今までは誰かがやってくれていた業務などが担い手がいなく(少なく)なって、以前のようにはいかなくなる」という悲劇が頻発するのが日本だ。悲しいがしょうがない。どうだろうか。