件の銃撃事件について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
何とも酷い事件が起きてしまった。依然、背後関係や詳しい動機など不明な点は多いが、印象が鮮明なうちにこれについて考えてみる。
とにかく全て驚きの要素ばかりだが、まず信じられないのが、報道によると使用されたのはネットの情報に基づいて自分で制作した銃であり、それが、これも報道情報からの印象だが、いとも簡単に標的に当たった様に見える事だ。良く知られていることだと思うが、長い歴史のある銃器メーカーの製品を使っても、標的だけに当てるというのはとても難しい。
俺も銃器の仕様が認められている国への旅行中に射撃を行ったことがあるが、10メートルも離れていない的に当てるのでさえとても難しい。ましてや一瞬の隙きを突いて銃撃するわけだから狙いすまして撃つわけにもいかない。大体自作銃で弾丸が真っ直ぐ出るようにするのも難しいと思っていた。悪い偶然が重なってしまっただけなのだろうか。わからない。
あるいは実際に報道などでも真っ先に注目・検証対象になっているように、武器の性能の悪さをカバーする程迄に接近を許してしまったというのも一因だ。
そして、遊説の性質上所在が公開情報にならざるを得ないというのも要因だ。
警護が事態を瞬時に認識してすぐ何らかの行動をしていればこうはならなかったとか、日本の警護というのはナイフなどを中心に注意していたが銃撃・狙撃等を軽視していたとか、そもそも平和ボケしていたとか、という感想も加えて今更何を言っても後の祭りであるが、とにかくそれなりの接近を許してしまう警備状況と何時何処に居るか誰でも知ることができる条件だと、危険は常に付きまとう。
反面、接近を許すというのは有権者に訴える、あるいはその政治家への親近感を持ってもらうという点で、また所在とその滞在時間を明かすというのはそこにより多くの聴衆を集めるという点で、政治家にとっては選挙が何より大切だから、政治的合理性がある。今後取り締まるとか何らかの対処をするにしても、徹底した危険要因排除は難しい。つまり、分かっていた筈の事実だが、政治家というのはこのような危険が伴うという事が再認識された。政治家だけでなく、人気商売というのはどれも同じような性質がある。
そして今回の事件に関してという視点からはズレるが、一凡人である自分がこのような危険を避けたい場合どう考えるべきか。ここで大事なのは、危機にさらされるのはそこに居る多くの人々だ。
第一に、冗談のようだがまず大切なのは人気商売を業にしないことだ。だが、そういう立場になっても必ず巻き込まれる訳では無いから、相応の見返りがあるとか、社会貢献につながると読めば、リスクとリターン比較でそこへ身を投じる意味はあるかもしれない。最近はネットを使用して気軽に人気者を目指すのも可能と思うが、それも考え様という事だ。俺を含めて大多数は成りたくても無理だから心配無用かもしれないが、相当な得が見込めない限り避けるという考えを持つのは大切だ。
第二に、「聴衆側」として危機に巻き込まれないように注意する。言い換えると、狙われる危険がある有名人・著名人等には、厳重な危機管理が保証されていない限り、普通は近づかない方が危機を避けられる可能性が高い。言い換えると人気者が関連する大会場等へ行くのは出来るだけ「どうしても会いたかったり参加したい場合」に限ったほうが良い。自分が人気稼業でも無いのに、危険な事態に巻き込まれてしまうのはバカバカしい。政治家の演説を聞くというのは投票のためにも民主主義のためにも尊い行動と思うが、情報化社会では家にいながらにして各候補者の考えは知ることができる。
第三に、第二に関連して、有名人が関連する大きなイベント等がある場合、それに参加する意思がないとしても別の目的で近くに滞在してしまう事もあるかもしれない。興味もないのに近くにいるだけで万一の事態に巻き込まれるのは余計バカバカしいから、そういうのを察知したら遠ざかることだ。例えばあそこに芸能人がいるらしいとなると自分も野次馬で見に行くこともあるかもしれないが、逆にそこから離れた方が良いかもしれない。そもそも群衆とか人混みとか有名人の所在に関わらず大きな危険があるから、出来るだけ避けるのが賢明だ。
これらを心配し過ぎで馬鹿らしいと思うかはそれぞれだが、突発的な事態というのは万一でも巻き込まれるのは嫌だから、せめてその価値があると自分で納得したときだけそこに委ねるというくらいの認識でも、危機管理としては意味があると思う。どうだろうか。