夢のある仕事について考える。
どうでも良いが、ネットを彷徨っていると、(自分から見ると)奇妙?な意見を思いがけずに見たり読んだりしてしまうのは良くある事だ。
先日、とある学者が動画配信自体についての私見をとある小文SNSで述べていた。文字制限があって考えを正しく理解しづらいが「完全引用」は色々面倒と思うので、自分なりにそれを要約すると、「動画配信者が夢のあるナリワイと思われているのはナゾ、なぜなら儲けているのはその配信元事業者で動画作成者はごく一部を除いて労働条件としては悪い」というような事だと思う。最近よく見かける学者だ。確か変なメガネ?をかけているが思い過ごしかもしれない。興味があったら調べてみてくれ。
とにかく短い文面で真意を読み取るのは難解であるが、有名な動画配信プラットフォームの、またそれを運営している企業への批判と取れ無い事もない。
メディアで活躍している学者はタレント化している人が多く、この発言もタレント視点発言(演出とか、炎上目的とか)かもしれないので真に受けるのも何だが、本日はこれについて考えてみよう。他で既知の内容かもしれないが自分の頭で考えるのが大切だ。また、挙げられている動画配信サービスの内の1つの親企業の株を少しだけ所有しているので、株主としても多少は意義がある。
俺の結論としては、この学者某氏の論理は破綻しているように見える。もちろん俺の考えが間違えているかもしれない。俺の論拠を説明する。
まず第一に、この文面だと、動画配信サービス提供業者への利益集中度が不当だと主張しているように読める。俺の知っている限り、動画配信事業は広告収入で成立し、広告主が払うお金を「動画配信事業者」と「動画作成投稿者」で「分けている」。つまり件の意見はこの分配割合が極度に事業者に偏っているという立場だ。
しかしその比率に「絶対に搾取では無い」と言い切れる閾値は無い。事業者が9割でも、99%でも、99.99%だとしても、色々意見がある。感覚として何となくの数字は各自あるだろうが、どうあれ「儲かっているのはほぼサービス事業者だけ」というのは主観だ。
当然だが、事業者は何もしないで投稿だけさせて濡れ手で粟では無いし、そもそも事業者と投稿者の労力とか費用の計算も難解だ。事業者は投稿プラットフォームの開発維持に膨大な投資をしている。広告需要を持ってくる手間も必要だ。他の事業との関連もありどれだけの投資が純粋に動画配信サービスに向けられているか、それが広告収入の事業者取り分に「相応」なのか、評価が難しい。評価できなければ「儲けが著しく偏っている」とは言えない。
配分は両者の合意に基づき事業者に従うことになるが、投稿は強制ではないからイヤならそこへ投稿しなければ良い。従って「儲かるのはサービス提供事業者(と極一部の投稿者)だけ」というのはどれだけ事実なのか確証が無いし、少なくとも「分け前がオカシイ」と断言できない。
第二に、「事業当事者が外部の力で大儲け」みたいなのは別に「動画投稿」に限ったビジネスモデル?では無いので、動画投稿構造だけを批判しても意味がない。とにかくよくある仕組みだと言うことだ。
例はいくらでもある。例えば出版社は従業員では無い、社外の創作者の作品に頼って儲けている。作り手で大成功者はごく一部。しかし作家や漫画家は「夢のない商売」と言えるだろうか。どちらかといえば夢がある方と思う。
あるいは多くのメディア番組は「視聴者からの意見、葉書、メール」で成り立っていると言える。しかし彼等に配当は殆ど無い。だからといってハガキ職人は夢がないのか。俺はそうは思わない。
ブログサービスもブログを皆に書いてもらって耳目を集めてそこへ広告を出して、ブロガーで成功者は極々一部。動画配信サービスと同じ収益構造だ。夢が無いんだろうか。激辛歩合制と断じられるか。
大体御本人が意見を開陳している当のSNSも同じビジネスモデルだ。みんなに短文や写真や動画を投稿してもらって商売しているのだ。苦労して作った投稿も多い。利用者には夢がないのか。
少し違うかもしれないがプロスポーツもこういう面がある。プロ競技者として大成功するのは極一部で、結局MLBなどリーグ運営等が儲かる仕組みだ。でも夢がある業界だから人気が出ると思う。
こうして考えてみると、「一般不特定多数の方々の力」を利用?してアクセスを集めて興行や作品や広告で収入を得て、その極?一部をプレイヤー等に還元し残りを運営収益とするというのはごく普通の商売形態といえる。ただ頼むだけでは誰もやってくれないから、自主的に参加してくれるように上手くサービスを作るのが商売のキモとなる。同様の動画配信だけが夢がないというのは根拠薄弱だ。
第三に、「儲けていない投稿者」を「悪い条件で働かされている」と断じている様な気もするが、それは「近視眼的」だ。もちろん多くの人にとっては収入に繋がる方が都合が良いだろうしそれが目的の投稿者が大多数だが、「あまり観られない動画」とか「ほとんど注目されない投稿者チャンネル」というのは、動画投稿事業者にとっても、また一般の観るだけ視聴者にとっても「それなりに意義のある」コンテンツになり得る。動画の価値は、収入につながるという面で見れば視聴者数ということになるが、それだけが価値では無い。ごく一部の人達が喜べばお金にならなくても価値があるかもしれないし、あるいは誰も見ない動画であっても投稿者の生き甲斐に繋がっていれば意味がある。「動画投稿サービス・プラットフォーム」の本当の価値(の1つ)とは、そこにあるのだ。事業者も利用者の意見を見ているだろうから、ある程度わかっているだろう。
という事で件の学者発言への俺の考えを述べた。手短に別の面から批評すると、「夢のある仕事」等という「壮大な概念」を140文字以内で扱うのは無理があったとも言える。どうだろうか。