音楽ストリーミングについて考える。
本当にどうでもよいが、先日、とある「超有名日本人音楽家」がインタビュー記事で、「自分は死ぬまでサブスク配信を許可しない、なぜなら表現に関わっていない人間が自由に曲をばらまいてその儲けを取っている、それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない、本来音楽はそういう事を考えないで作らなくてはいけない」というような発言をしていた。興味があればそんな発言要旨で検索すればしばらくは出てくるだろうから参照してみてくれ。
御本人の作品をどうするかはもちろん権利者の勝手である。だが発言を素直に取れば配信事業自体や配信音楽に依存する音楽家を批判している気もする。記事では文字にする段階で記者が本当の発言を曲げてしまっている可能性もあるが、本当の文言は知りようがないので文字通りのことを言ったと仮定して、本日はこれを題材とする。
結論を先にいうと、そもそも、発言が大変難解で、それ故に意味不明で、敢えていうと支離滅裂で、率直に言って間違えている可能性が高い気がする。順を追って解析する。
まず、「表現に関わっていない人間」という「表現」だ。
これが誰を意味しているのかハッキリはわからないが、前後から「配信事業者」と推定する。つまりサブスクサービスを展開している企業の「人間」、つまりそこの従業員だ。「自由に曲をばらまいてその儲けを取っている」、のがそのような「人間」らしいから、そこからもサブスク企業従業員を指していると取れる。その企業の株主も含まれるかもしれない。
だが、「音楽配信事業」も「古い形態のレコードやCDを介した音楽事業」であっても、流通経路が違うだけで事業の基本構造は同じだ。件の音楽家はCDは長年出していて、「CDで儲けを出している」会社を批判していないようだから、これは二重規範だ。なんでCD企業の「人間」は「良い人間」で、配信企業の「人間」を見下すような発言をするのか。CD発売企業の従業員は株主から経営陣から営業総務人事社員などCDの売上から一部給料をもらっている全員が「表現に関わっている人間」とでも言うのだろうか。
実態としては音楽事業は供給側で「関わる人間」にそれほど大差は無く、昔と今配信の相違は、それを聴いて楽しむ人達までの「道程」だけだ。消費者に辿り着けば「道程」によって良し悪しや品質が違うわけではない。だから配信だけを批判するのは間違えていると思う。
少々話が逸れるが、このような「表現者」、「創造者」、「クリエイター」的に自分達を「それ以外」と「区別」する人達(芸術家やショービジネス関連に多い)は、俺の勝手な感想だが、思い上がりが顕著に思う。なぜなら、人間生きていれば何かを表現しているはずだし、創造性を日々生活で発揮して生きているのだ。「何も表現していないし何も創造性を発揮していない」人間なんているだろうか。でも「表現者」と「それ以外」を区別する人達はそう思っているわけだ。オカシイ考えだ。
感染症騒動の初期、演劇興行等が制限されて関係者への補助金の是非が話題になった時、「俺たち表現者が制限によって経済的に困窮すると、楽しんでいるそれ以外の人達、観客が困るんだから政府や自治体は俺達に政府は補助すべきだ」と宣っていた脚本家がいた。何という大上段な思考だろう。補助するなら国民全員が基本だ。このような差別的思想は件の音楽家だけではなく、業界に蔓延っているのかもしれない。
話を戻して、発言の次の部分、「マーケットとしての勝利」だ。これは文字通り俺には意味不明だ。誰の勝利なのか。市場が広がったということだろうか。配信では「より多くの人」に届くとすると作成者、配信者、聴衆者、いずれにとっても良いと思うが、何が不満なのか。より多くの人に届いた割には配信者のパイが大きすぎると思っているのか。
しかしこのような分析もある:
聴き方によるが例えば15曲入り15㌦のCDを買い、そのCDを週1回10年間聞くとすると、CD売上からの作者の取り分は2㌦位だから、大体1回1曲再生で0.00002㌣の収入の計算になる。 もちろん期間が長くなればもっと少ない金額になる。一方、米国のメジャーな配信サービスでは1ストリームあたり0.1㌣から0.7㌣位が作者に支払われる。同じような聞き方をすると10年間で計数十㌦になる。
これには例えばストリームをダウンロードされてしまう問題が考慮されていないし、CDはCDで買った人がデータだけ電子化してあとは中古屋に持っていく(新たな購入者を減らす作用がある)ような問題もあるから比較は難しいが、配信の方が事業者の搾取が著しいとはとても言えない。「マーケットとしての勝利」というのは控えめに見てもおかしな発言だ。
序に言って「音楽的な勝利ではない」というのは表現者らしくない間抜けな「表現」だと思う。意味不明だ。そもそも音楽に勝利とか敗北とかあるのか。何か勘違いしていないだろうか。それとも俺が無知なのか。
もしかしたら彼を含めて配信を毛嫌いする人達は、単に懐古主義で新しい形態の音楽の配布が分かっていないのか、認めたくないのか、配信は事業者が陰で搾取しているに違い無いと思い込んでいるだけなんじゃないか?と低俗推測してしまう。また配信事業に携わる「儲けを勝手に取る人間」を、レコードやCD販売に関わる「高貴な人間」と、「区別」しているように読めてしまう。恐ろしい「老害的勘違い」だと思う。
ところで超富裕層研究ブログらしく最後に投資家目線で見てみる。
正直言ってもし俺が配信事業をやっている会社の社員とか経営者だったら「そうですか、じゃあなたの作品はうちでは扱わなくて結構です」と尻をまくりたくなるが、そこは商売人、特に経営者とか社内で責任ある立場であれば、人気のある音楽家はなるべく取り込みたいとも思うだろう。だからここは各社本心を隠して地道に慇懃に営業をかけ続けるのが合理的となる。そしてもし、どこかの会社がサブスクを勝ち取ったら、そこの会社は投資先として評価できるだろう。どうだろうか。