「老人民主主義」でシラケてしまう若年層について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
唐突だが、先日ある有名な討論番組の数ヶ月前の放送の録画を見ていた。どうでも良いが俺はテレビは殆ど観ないが、討論番組は時々観る。特に深夜に長年やっているこの番組はよく観る。この日の主題は「高齢化で日本はどうすべきか」、という「よくあるヤツ」だ。ところで俺が若年層なのか、はたまた老人なのか、いやどちらでもなく「その中間」?なのか、は読者に予断を与えてしまうし、気にしないでくれ。
さて、番組では「中高年・老人代表」の数名のオッサン・ジイさんに対し、比較的若い?とされる討論者が「若年者代表」として何人か出演し、彼らは総じて「老人民主主義によって若年層がワリをくっている」、そして「若年層は数が少ないから投票ではどうせ変えられないと社会に失望している」、だから「投票にも行かない」、本当に変わるには「老人や古い人達を革命のように物理的排除は現実的には出来ないから、そういう人達は進んで退場すべきだ」、といった主張であった。
この題材だと若年層の意見は大体こうなる。若年層も様々な意見があるだろうが、惨状の原因は「上の層」「高齢層」だと少しでも感じていれば、このような結論が多いのは自然だ。
そして、若年層から「上の世代」と思われて敵対視されている人達も考えは色々だろうが、若年層に「オッサンや老人達が重要なことを決めるな、自主的に引っ込んでろ」と言われて、自分達が昔若年層だった頃はそう思っていたし、感覚的には共感できるかもしれないが、今となっては自分達の死活問題にもなり得るから「はいわかりました」と言っている場合でも無い。そもそも、引き下がって全部若年層に任せたとしても、今より上手くいく保証はない。
かくして、議論は平行線を辿る。解決は難しい。そして、当然俺には是非は分からない。
だが、俺が正確に理解しているか自信が無いが、若年層討論者の風潮としては「どうせそっち(高年齢者達)の数が多いから、解決を諦めている」と考えている様だ。だから投票に行って社会を変えろと言われても無駄だから行かないし、自分達のやりたいことに専念するといった様相だ。他の番組で老人に「俺たちのせいじゃないから、問答無用でそっちがとにかくさっさと退場しろ」と迫る?学者や経営者も観たことがある。
「四の五の言わずに退け」というのは無理がありそうだが、かと言って上手い手があるわけでもなし、究極各自の考えだからしょうが無いといえばしょうがない。社会問題ド素人の俺に特段意見は無いが、ここは超富裕層研究のブログであるから、投資先として考えてみる。
自分達に都合が悪い問題に対し、自発的努力(投票など)は「どうせ無駄だから」と考えて行わず、自分達が「問題の元凶」と見なしている人達に「俺たちの問題の解決には、あんた達が自発的に退場するしかないね」という集団に、投資家はお金を出したいと思うだろうか。国家は投資先とも考えられるから、真っ当な投資分析だ。
俺の金だったら、このような?投資先は一番に避ける対象だ。
なぜなら、企業で言えば「自分達では問題解決できません、我々の力では道をとても切り開けません」と若年人材部署が事業遂行で老人経営陣に対して嘆いているようなものだからだ。「俺たちは数が少ないしどうせ意見も通らないから、勝手に別の、内輪だけで出来る事をやるよ」とシラケている社員がのさばっている会社の将来は明るいとは思えない。
実際世界の投資家から実際どう思われているかは分からないが、少なくとも「シラケる若者が多い」のは「有望な投資先」の要件としては肯定的には捉えられない。そしてそれは遠い先にもし解決の機会があるとしても、「ヒト・モノ・カネ」が集まりにくくなっている可能性が高くなる訳だから、最悪手だと思う。少なくともタテマエではシラケを隠しても良いだろう。どうだろうか。