サッカーワールドカップについて考える。
今更だが、サッカーワールドカップが開催されている。既に敗退したが日本代表の見せ場もあって、それなりに盛り上がっている様だ。明日以降準々決勝が始まる。
俺は運動競技観戦では圧倒的に野球(主にMLB、そしてNPB)が多くそういう意味では敢えて言うなら野球ファンであるが、ワールドカップは一応出来るだけ観るようにしている。日本人だから一応、日本代表戦では固唾を飲んで見守っていた。
結果は御存知の通りで、よくやったのかそれともそうでないのかは意見も様々だろうが、それは一旦いいとして、地域やファンの期待を背負ったチームや選手がその期待に添えないと、最近は特に「選手」や「代表チーム」への罵詈雑言というか、誹謗中傷というか、とにかくそういうのが「敗戦」や「敗退」自体ともに、問題視される。ネットで悪口が広まりやすかったり、本人やその周辺に直接届きやすいので、以前と比較して深刻化しているようだ。グループリーグで一度負けたとき等、選手からも「なぜ応援してくれないのか」みたいな嘆きコメントも記事でみた。
凡庸な意見であるが、このような視聴者やファンからの「問題発言」もどきは以前から当然あるもので、法に触れるほどの悪質な物は問題外としても、ある程度はしょうがないというか、黙認されるというか、完全に禁止?するのは不可能だ。ヤンキースのジャッジもあれだけの活躍をしたのに、今ポストシーズンでは不調に陥り、ヤンキースタジアムでは酷いヤジだった。ネットでも散々に言われていた。
ワールドカップだけはそういうのが許されないというのも変だから、もしダメだと言うなら野球でもオリンピックでも何でも同様な基準でないと混乱する。基準といっても難しいが現実的には違法行為でなければ許容される位の常識が良いのではないだろうか。素人でもプレーに対してネットで非難批判しただけで場合によっては問題視されるのは気味の悪い圧力だ。
そしてもっと気持ち悪い?と思うのが、そういう空気によって社会が一体となって「歓迎」「感謝」ムード一色になることだ。セルジオ◯後氏とかは「期待通り」の厳しい評価をしているが、それがとても目立つほどに全国で温かいお出迎え一体感があり、また目立った代表批判は人格を疑われるかもしれないという恐怖感がある。サッカー専門家であるセルジオさんでさえ「まーた恒例の激辛批判か」とあしらわれている気がするのは俺だけだろうか。
低俗推測すると、そもそも帰ってきた代表チームも、公やメディアなどでは基本どこへいっても「感動をありがとう」とか「よく頑張った」とか「日本の実力を世界に見せた」とか、敗退したのにそればかり言われても、それ程嬉しくないしシックリこないし、気を使われていると心中複雑なのではないだろうか。ある程度は批判的で反抗的な扱いもあっても良いと思っているのでは?と俺は感じてしまう。結果に関わらず常に温かい歓待では、優勝以外では酷い批判に晒される様な強豪国がもしあるとすれば、勝負にならないのではないだろうか。
まぁそれはいいとして、超富裕層の研究ブログだから投資家目線で「ワールドカップ」を分析する。ワールドカップというのは経済的にも当然価値が高い。それはわかっている。でもそれはなぜだろうか。
前提として、サッカーの地球規模での普及がある。野球その他のプロスポーツの地域偏在に対して大変に優位だ。
しかし、もしそれだけなら、EUROとかアジアカップとかオリンピックでも大変有力なコンテンツな筈だ。実際有力で人気もあるが、ワールドカップに比べるとこう言っては何だが霞んでしまう。
以下、ワールドカップの魅力についての素人考えを述べる。
これは、誰が考えたのか知らないが、世界のサッカーの、ワールドカップを頂点とする、非常に良くできた仕組みが要因だと思う。
つまり、サッカーに於いては「ワールドカップ優勝」だけが、最高の「栄誉」「名誉」「栄光」「成功」であり、それ以外はそれに準ずるモノか、あるいはクラスが下の栄冠に過ぎないと「少なくとも多くの人間に思われている」いう、単純明快なピラミッド構造が原因だ。
例えば野球においては、北米地域のリーグであるMLBの「ワールドシリーズ」が最高位であり、WBCやオリンピック金メダルの栄誉はこう言っては何だがそれより上に見られているとは言えない。その証拠に、野球代表チームにはその時点の最高のメンバーがいつも選ばれるという事は無い。今回のWBCでは日本はそれに近いかもしれないが、米国チームは出場しない有名選手が多くいる。所属チームを優先しているためだ。五輪野球も同様だ。それなりの選手が出るかもしれないが、制限などもあるし、サッカー代表ほど優先されない。
あるいは陸上競技でも、五輪が一応頂点かもしれないが、世界陸上や有名マラソン大会の方が明らかに下位とはとても言えない。
しかしワールドカップでは、クラブチームも、国も、リーグも、そして選手自体も、殆どが大会優先だ。代表チームでの活躍、そして優勝が何にも代え難い栄誉と認識されている。クラブチームも代表で所属選手が活躍するのを願っている。欧州では毎年野球で言う「MVP」みたいなのが選ばれるが、それを何度も受賞している名選手達の多くが、その「最優秀選手の栄冠」よりも「ワールドカップの優勝」の方が嬉しいと発言している。
これはどういうことか?つまり、代表チーム、監督、選手、全て「本当の本気」でプレーする可能性が高い。
そして人間というのは、人間が本当に本気で争う「競技」に、大きな価値があると考えている。ワールドカップというのは、世界中の超有名選手達、もう金も名誉も充分に持っている選手たちでさえも「目の色を変える本気の競技」が保証されている、稀有な大会と言える。それ故に大きな経済的価値がある。どうだろうか。