「N等分問題」、「取り引き」、「大喜利」の深い関係について考える。
ネットの大海を彷徨っていると、常時どうでも良い情報や記事に読みたくなくてもどうしても当たってしまう。凡人である俺の日常でもあるが、先日からどうもいわゆる「人気記事」として「”リンゴを公平に3等分する問題”への気の利いた回答」みたいな表題がポータルサイトでよく出てくる。
話が逸れるが、ネットではこのような「一味違う返答」「切り口がナナメの返し」みたいな、いわゆる疑似大喜利みたいな行為が常に繰り広げられている。人の投稿に気の利いたリプをつけて独り言ちている暇な日本人が多い。
このような「ネット演芸」は以前は巨大掲示板が主戦場?であったが、最近はもっぱらTwitterとかのSNSだ。基本短文で鮮度が大切だからTwitterとネット大喜利は相性が良い。Twitterは日本のユーザー数や投稿数が人口比で突出して多いらしいが、これが理由かもしれない。誰かTwitterの所有者に知らせてくれないだろうか。
「笑点」は依然として大人気、テレビも大喜利演出が多い。ネットでもTwitterで国民全体でリプ合戦。控えめに言っても日本には大喜利需要がある。頼まれなくてもせっせとツイートやリプして大喜利の日常だ。
以前も関連投稿( ここ(新規タブで開くので注意)で検索してみてくれ)したが、日本の雇用構造上の理由で、新卒の面接というのは大喜利要素が強い。大喜利が好きな文化でなければそうはならないと思う。
さて、「日本人の大喜利好き」は今日は良いとして、「3等分問題」だ。あまりに目にするので考えてしまった。そして俺の屁理屈脳が刺激されてしまった。本日は大喜利では無いが「屁理屈回答」として題材とする。言うまでも無いが、「屁理屈」なので本気にせず、冗談として以下、読んでくれ。
問題:「りんごが10個」ある。それを3人で公平に分けるにはどうするか。
この問題は数学的のみならず、屁哲学的、屁論理学的に深く掘り下げられるが、屁理屈正答は1つしかない。
解答:3人(当事者全員)で同意する「公平な分け方」なら何でも正しい。
言い換えると「同意」が無ければ、「公平に3等分」は不可能だ。「可能な同意内容」は無数にある。例としては、次のような按分だ。
‐ 任意のA個、B個、C個(A+B+C=10、A、B、Cは自然数)で分ける。
‐ お金を出しあって、2個買い足して、4個ずつで分ける。或いは1個を棄てるか他の人に与えて、残りを3個ずつで分ける。いっその事全部寄付して、全員1つも受け取らない。(平等主義者的な正答)
‐ くじ引き、殴り合い、等の「試合?結果」に因って分け方を決めるとして、それに従い競技する(自由主義者向け正答)。
‐ 体積や重量を計量器で計測可能な範囲で3等分し、按分する。
この他無数に可能性があるが、何れも3人が「公平な分け方」と事前に同意していれば当然正しい、公平な分け方といえる。当事者同士の「取り引き」が如何に大切か、また「事前の同意」がどれだけ問題解決に大切か、を物語っている。
また、逆に言うと、たとえ重さで「かなり精密に」3つに分けても、定量計測はどこまで行っても厳密さはそれだけで「絶対充分」とは言えないから、グラム単位小数第2位までなのか、分子量なのか、とにかく結局どこで手を打つのか「事前同意」が必要だ。
件の記事でも、掲示板創設で有名な人が余った分をジャンケンで決めれば良いと述べており、多くを感心させた?ようだ。手早く処理できる。だがジャンケンの後に「俺はジャンケンで決めるとは同意していない」と言われると紛糾する可能性がある。ジャンケンにしろくじにしろ、効率よく処理するには事前同意が解決法として強調されるべきだ。
さて、俺も人間だから、この問題が突き付けているのはそこでは無いという事くらいは想像がつく。このトンチ?のキモは「上手く」「3つに分ける」という所だ。つまり行外で「2つに分けるのはできるが、うまく3つに分けるのはどうするか?」という質問だ。こういう常識的?な読解だと曖昧さが多い。言い出したらキリがない。大体2等分だって大変難しいし、仮に3等分しても厳密に正誤判断出来ない。つまりこの問題は、「上手く分ける」という言葉の解釈を、上記「同意」を絡めて、如何に「面白く気の利いた方法」にできるかという、「大喜利問題」でもある。
だから例えば生真面目に「2等分できるというのは明言されていないが前提として、まず2等分の2等分で4等分、3ピースを3人で分けて残りをまた4等分して同様に限界まで繰り返していけばかなり均等になる…」等というのは大喜利的ではないので減点されてしまう。
という事で、どうでも良い「N等分問題」は奥が深い。どうだろうか。