「老人民主主義」でよくある「排除理論」について考える。
先日の投稿の続き。
老人民主主義(1)若年層が「シラケる」のは最悪手-超富裕層の研究
唐突だが、先日ある有名な討論番組の数ヶ月前の放送の録画を見ていた。どうでも良いが俺はテレビは殆ど観ないが、討論番組は時々観る。特に深夜に長年やっているこの番組はよく観る。この日の主題は「高齢化で日本はどうすべきか」、という「よくあるヤツ」だ。ところで俺が若年層なのか、はたまた老人なのか、いやどちらで
最近よくメディアに出ている珍妙な眼鏡をかけた学者が、以前「老人は集団自決」みたいな発言をしていたらしく、冗談にしても悪質だと少しネットで話題になっている。
ネット番組での発言で演出もあるかもしれないし、より極端な発言で耳目をという打算もあるかもしれないし、俺から見ると「この人」は最早「テレビタレント」だし、発言に対して真面目に憤慨論評するのもアレだが、普通の人達の一部を「自分たちから見て都合の悪い存在だから否定除外する、あるいは強制排除する」というのは「数十年前のドイツの危険思考」と見方によっては共通点が多い。彼はある意味そういう前時代的考えを持っているのかもしれない。
あるいは別の人だが、成人式に関連し、年配の登壇者を「老害」「過労死してほしい」等と発言があったと報道されている。
陳腐な言い方だが、老人の行動や威力がそれ以外の人達に「理不尽さ」や「恐ろしさ」を感じさせる機会が増えてきたというところか。以前から数十年もある感情が目立ってきたのかもしれない。わからない。
俺は社会問題の専門家でも無いし、是非を論じてもしょうがない。結局日本国民各自で考えて行動するしか無い。
そして普通に考えれば集団排除はあまりにも非人道的、非倫理的、非現実的、よって無視すれば良いが暇な俺は少し考えた。もしこの学者が言うように「老人」が「集団自決」したら、どうなるのか…?果たしてそこにはこの前時代的学者が主張するような、諸問題が解決した素晴らしい日本になっているのだろうか。思考実験として少し考えてみると、単に人命を軽視しているという大原則以外でも、酷い無責任発言だと分かる。以下説明する。
まず、基準が困難というかほぼ解決不能だ。
学者の考えで「集団自決」するしかないというのが具体的にどういう人達を対象と考えているのか分からないが、例えば65歳以上とすると、64歳11ヶ月の人と65歳の人で違いがありすぎて、仮にこれで山積する問題が一気に解決するとしても、既に非人道的だ。一例として年齢を挙げたが、どのような基準だとしても日本中が大混乱に陥り理想社会にはならないだろう。すでにこの学者の理論はここで破綻している。
そして、日本ではそれ程の火葬処理能力がない。
火葬能力の逼迫はすでに問題となっている。現在1年で145万人弱が火葬されているが、もし「排除」が起こったらその10倍以上の数になる。遺体が放置されざるを得ず大問題、社会は大混乱となる。
また、例え老人や高齢者であっても色々な意味で皆社会を支えていたり貢献しているのだから、排除することによって社会に影響が及ぶ。直接的間接的に多岐にわたり、社会は大混乱となる。
その他にもありとあらゆる問題が噴出する。結果おそらく「内乱」や「暴動」が起きるのは必至、理想とは程遠い社会が予想される。つまりこの発言は無責任大馬鹿思考だ。
仮に、その苦難問題大混乱を乗り越えられたとして、その先に理想社会があればまだ良いかもしれないが、排除により人の心は荒みその後長年に渡る分断や差別の原因となる可能性がある。つまり諸社会問題解決に繋がるとは思えない。それに加え、そこで人口構成が良い方に短期間に激変しなければ、数年後数十年後にまた同様の老人民主主義が蔓延る可能性がある。その場合そこでまた排除するのか。そもそも、危険な排除思想を持つ人達もすでにいい歳の人も多いのだ。もし彼らが高年齢になってその時点でこの排除方針が取り入れられ対象となったら唯々諾々と従うのか。そうとは思えないから自己矛盾している。
件の発言は挑発的表現をしただけで、実際は「社会の表舞台からの退出を即す」という程度の意味なのかもしれないが、隠居強制程度だとしても、上記の問題の程度が変わるだけで社会が大混乱になる確率は無視できない。自分が今若年層としても、老人になってからそれまで認められていた権利を剥奪されて黙って従うだろうか。どちらかといえば反抗勢力により社会分断が進み社会が荒むという予測の方が現実的と俺は思う。
という事で、「排除理論」というのは全て浅はかな無責任発言と捉えて無視、現在このようなトンデモ学者を重用しているメディアを含め他に労力資源を使った方がよいだろう。どうだろうか。