「独身中年男性の狂気」の考え方について考える。
今更だが、「独身中年男性の狂気」がネットで耳目を集めた。
俺も詳しくは知らないが、大元はある「増田」のエントリーらしい。概要としては、中年を過ぎ心と体の老化と、それに伴う健康や孤独の将来不安による焦燥感といったところか。
未だ読んでいなくて興味があれば、「独身中年男性、狂ってきたので」とかで検索すると、(少なくともこの投稿を書いているこの瞬間は)検索結果の上位には出てくる。
そして、それに反応して、独身中年でも幸せな人も多いとか、結婚ではなく「社会とのつながり」が重要とか、そうは言っても独身の不安はあるとか、蜂の頭とか、色んな意見があって、賛否両論というか異論反論というか千差万別状態となっている。
どれも一理ありそうだし何が正しいとかは難しく、そもそも是非はどうでも良い。低俗な考えだが暇でそれなりにまだ余裕の有る日本人が暇つぶしに理屈をこねているのは、それ以外から見ると見苦しい?かもしれない。
しかしこの怪現象?を観察していて自分としては、下らないかもしれないが、再認識することがあるので、俺もその見苦しい連中に加わって本日の題材とする。
第一に、この過敏というか、過剰と言うか、オレもワタシもと意見がブワーッと出てくるというのは、つまりはこのような焦燥感が比較的多くの日本人に共有されている、共感を得られているという事だ。
言い換えると、「孤独不安」を持つ日本人が多く居るという事だ。あるいは現在は孤独を感じて無くても非常に興味がある人も多いとも言える。不安な自分のためにも「孤独を楽しめば良い」みたいな虚勢を張る人間も多かろう。
論理が飛躍しているかもしれないが、これらを踏まえてあえて簡潔化すると、
何だかんだで結局、多かれ少なかれ、
日本人の多くは孤独で、それを恐れている
と言えるのではないだろうか。
第二に、この増田エントリは「独身」状態と「孤独」状態の関連性を重視しており、それに反応している人も結婚について論じている。
だが、昨今の風潮では結婚のリスクも大きく論じられ、また独りを強く奨める左巻きに影響を受けている人もたくさん居そうだし、そうでなくても経済的な問題もあるし、そもそも少子化という結果から考えても結婚に否定的な考えを持つ人は増えている。
そもそも、日本人の多くが孤独不安に苛まれていて、結婚がその焦燥からの開放かもしれないと認識しているのに、依然として多くが孤独に悩むというのは、どういう事か。
論理が飛躍しているかもしれないが、これらをあえて簡潔化すると、
何だかんだで結局、多かれ少なかれ、
日本人の多くは結婚に希望を持っていない
と言えるのではないだろうか。
第三点として、孤独を癒やすのは配偶者や家族だけでは無い。もちろんそれらが最重要であるが、当然その次に「友人・友達」が候補になる。
しかし、結婚じゃなければ友人が孤独離脱の望みとなるとわかっているのに、結局は日本人は孤独に悩まされ続けているようだ。友人を増やすというのは中々に面倒だというのもあるだろう。
論理が飛躍しているかもしれないが、これらを踏まえてあえて簡潔化すると、
何だかんだで結局、多かれ少なかれ、
日本人の多くは友達が(ほとんど)いない
と言えるのではないだろうか。
第四に、話が多少変わるが、昨今ファイアーとか若セミとか消費極小化に毎日励み、片田舎でひっそり働かずに生活みたいなのが大はやりだ。
人によるが、こういう人の多くが「人間関係(とそれに付随する労働)」に嫌気が差して、それらを断ち切るためにこのような隠遁を貫いている様だ。
あるいは、普通に働いている人達でも、SNSや報道等を見ていると、職場には使えないオジサンばかりだとか、何とかハラスメントを受けているとか心を病んだり、そうでなくても大小の人間関係に悩んでいない人はほとんどいない。
論理が飛躍しているかもしれないが、これらを踏まえてあえて簡潔化すると、
何だかんだで結局、多かれ少なかれ、
日本人の多くが他人を煩わしいと思っている
と言えるのではないだろうか。
そして上記四点をもっと煎じ詰めると、逆説的だが
日本人は孤独で、孤独好きだが、孤独を恐れている
と結論できるだろう。禅問答のような、よくある人間の不条理、矛盾、自分本位思想だ。
好きなモノを恐れてもいるんだから、どっちがいいか論じあっても結論は出ない。暇なら良いがいくら定性的に考えても時間の無駄となる。
ではどうするか?他にもっと考えるべき事があればそちらで悩んだほうが良い。でなければ定量的に分析するしかない。どうだろうか。