「アップデート」(誤)用法について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
どうでも良いが、最近、プログラム的なモノ以外に対して、「アップデート」を使う人を時々見聞きする。”意識をアップデート”とか”常識をアップデート”とか”社会構造をアップデート”とか言った具合だ。所謂「意識高い系」の人々の乱用?が多い気がする。
上記名詞に対しては、「意識を変える」と、普通に「変える」を使用すれば良いのに、あるいは多少キザにするなら「常識を再定義する」とかで充分なのに、なぜ敢えてアップデートというのか。
そもそも、このような「横文字系カタカナ」を乱用する方々は、往々にしてその主張や文章にほとんど中身が無い人が多い印象で、それ故に非合理的な思考が多い気がする。「常識をアップデート」用法はそれが垣間見える「好例」だ。以下説明する。
まず、前述の通り、普通に「変える」と言えば良いところを「アップデート」としたところで情報量は変わらない。それどころか、そのような言い換えは「会話をより意味不明にする」から、却って悪影響がある。
敢えて「アップデート」を使用する人の真意を(あるとすれば)深読みすると「古い考えを新しい考えに、ソフトウエアのバージョンアップの様に刷新・更新する」といった意図なのかもしれないが、だったらその旨説明すれば良い。あるいは「新しい常識を取り入れる」とか普通に言えばよい。
穿った見方かもしれないが、「意識髙い系」はその他を「意識が低い人達」と見下す傾向があって、すなわちそういう古い(自分達から見たらレベルの低い)考えを一新すべきだから、といった「捻れた思想・優越思考」が意識的・無意識的両方で、「アップデート」乱用に出てしまっているのかもしれない。
また、これはどうでも良いが、ちょっとネットで調べた限りでは、英語で「アップデート」を特に動詞で使用する場合の「対象」は、主に「ソフトウエア自体」や「データ」であり、「人心や社会を変える」ような場合では他の用語がある(らしい)。
だから得意気?に英語を混ぜているのだとしたら、逆に「英語無知」を曝け出していることになるかもしれない。恥ずかしい。
そして、カタカナ語というのは対応する、当て嵌まる日本語が無い場合は受け容れやすく、また威力を発揮する。しかし上記の通りアップデートは特に使う必要が無い。付加情報が無い。繰り返すが場合によってはより意味不明になる。
逆の例として、例えば、現在米国は債務上限額で大騒ぎで対立勢力が双方譲歩せず引くに引けない状況となり、ちょっと前に一応協議が妥結した模様だが、それまでは典型的な「チキンレース」の様相となっていた。
すなわち、互いに強硬な姿勢を維持し主張を曲げず、かといって妥協無しでは双方破滅的な結末で、それどころか経済を大混乱に導き誰得状態になってしまう、という複雑?な状態を「チキンレース」6文字で表現でき、しかも日本や東アジアにはチキンレース文化がほぼ無い(と思われる)から、当て嵌まる大和言葉や漢字の熟語等が無い。従ってカタカナ使用が合理的で已むを得ないと思う。
だが「アップデート」は別の日本語で表現しにくいわけではない。前述の通り「変える」でも良いしもう少し難しい表現も多くある。いずれも「”アップデート”で意味不明」よりマシだと思う。
まとめると、「(常識を)アップデート」系の乱用者は、
- 意図をより意味不明にしており、
- 元の"update"用法の英語無知を晒しており、
- 何より他の言い方があるので使用に合理性が無い。
このような「アップデート」乱用志向の所謂「意識髙い系」の方々は、余計なお世話かもしれないが、まず「自分の脳内の日本語と英語の辞書データ」を「アップデート」した方が良いだろう。どうだろうか。