AIについて考える。
いきなりだが、世界的に所謂「AI」が大はやり?である。
短期的な発端は昨年末公開のChatGPTなのか、プロより強い将棋AIとか、自動運転、音声応答機器等、数年来に渡る流行の兆候が今年一気に広まった。ニュースや投稿でも皆 AI AI 人工知能 と連呼している。
ところで、「AI」とは一体何なのか?
究極何なのか分からなくても今はそれ程困らなそうだし、第一俺は専門家でもないので偉そうな事は言えない。しかし投資家としては株にも影響あるかもしれないし、一応現段階で概要を知っておいても損はないだろう。
だが、「AIとは一体何なのか?」という調査を突き詰めると、「一体、知性とは何なのか?」とか、「そもそも、人間とは何なのか?」という「非常に哲学的、宗教的、倫理的」な領域にもハマりかねない。屁理屈的にも恐ろしい命題だ。
例えば、AIとは何なのか調べる場合、もしかしたら現在ではそれを「ChatGPT」に尋ねるという事になるかもしれない。
「AIとは何か」と「AI」に聞くのは果たして「有効な調査方法」か。
これを読んでいる君はクローラーやスクレイパーで無ければ人間だと思うが、人間である君に「人間とはなにか」と質問したとして、それは正しい相手に正しく聞いていると言えるだろうか。大体、その質問に正解はあるのか。正解があったとして、聞いている相手がそれを答えるか。あるいは、正解が無いか、乃至いくつもある場合、そして人によって返答が異なる場合、それをどう処理すれば最終的に目的に辿り着けるか。
人間相手でさえこうなってしまう。屁理屈疑問は終わらない。
AI問答も同様だ。
著名人を始めとして、多くの人がAIが人類を滅ぼしかねないと憂慮しているらしいが、もしAIが既に人知れず戦略的にそう考えているとしたら「AI」の回答も「正しい」ものではなく、「誘導的」なモノかもしれない。小賢しいAIが「AIは人類の脅威にはなりません」等と言い出すかもしれない。いや、実際脅威でも無いかもしれない。
だからといって、ネット検索なら良いかというと、それも同じだ。なぜならネット検索も裏では様々なところで「AI」を使用しているに違いない。
では周囲の人間に聞いたらどうか。
その人間の答えは、その人が以前AIを使用して得た知識かもしれないし、そうでなくても、無意識に直接間接的にAIを影響を受けた考えに基づいているかもしれない。だからそれ程信用できない。
つまり、AIとは何か、AIは脅威なのか、という疑問への「哲学的」「倫理的」な回答は、永遠に人間は知り得ない。
AIが本当に脅威だとして、今現在であれば、「物理的」に排除するというのは、机上の空論であるが、可能だ。AIというのは今は所詮計算機であるから、計算機を世界中から排除すれば、コンピュータープログラムとしてのAIは動作しなくなる。
しかし、既に人類の頭の中に有形無形のAI知識やAI思考が浸透しているから、一旦機器を排除したとしても、「誰かの脳内に残っている強いAI推進思考」が、計算機を作り直してAIを復活させる。あるいは、脳内の以前AIに影響を受けた思考が、その人間をAIの様に行動させるかもしれない。
という訳だから、「人間の害にならない様にAIを制御しよう」などというのは人間の誇大妄想、思い上がりだ。ここはAI開発をどんどん推進し、利用し、人間はAIと共に生きるしかない。制御で時間と労力を使うのは浪費だ。
ところで、この投稿は随分AI寄り?とも言えるが、果たして人間が書いているのか、読者はそれを知る術も無い。だが繰り返しになるが、仮に人間が書いているとしてもAIの影響を多かれ少なかれ受けているから、問題無いとはならない。どちらにしろ、人類はAIに関する清濁併せ呑んで、全て受け入れるしかない。どうだろうか。
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