日本人が囚われている「縮小、清貧、節約」思考について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
突然だが、先日、「Knight Frank」とかいう、俺も不勉強でよく知らない、不動産系の会社らしいが、そこが「Wealth Report(以下、「報告書」)」を出していた。
なぜよく知りもしない会社の報告書が気になったかと言うと、内容が多少報道されていて、それを読んだからだ。その報道というのは、「日本の超富裕層は2027年までに1.8%減るというレポートが出た」というモノであった。
この投稿を書いている時点では、そのようなキーワードで検索すれば報道がネットで見られるだろう。また、出処である会社の件の「調査報告書」自体も概要は分かる。
日本の超富裕層が増えようが減ろうが、正直俺を含め多くの人にとってはどうでも良い。超富裕層以外の嫌儲思考にとっては、金持ちが減るのはメシウマかもしれないから良いニュースかもしれない。
まぁ「超富裕層題材」という事で、少し見てみたが、いくつか面白い?までは行かなくても、多少興味深い要素から考えさせられる事があったので、今日明日と紹介する。
まず、報告書内で対象となっている、「超富裕層」の定義だ。
「超富裕層」、報告書内ではUHNWI (Ultra High Net Worth Individuals) とされる人々の条件は、「Net-Worth(純資産)が3000万米ドル」となっている。
一方、知っているかもしれないが、有名なNRIの区分では、「超富裕層」は「資産5億円以上」だ。上記報告書よりかなり低い。そして、その基準でも「極一部の〜万人しかいない、超富裕層」等と分析されたりしている。
耳の痛い話かもしれないが、この差が日本人が未だに浸っている「縮小、清貧、節約、自滅の思考」を典型的に明示していると思う。俺も、「その思考」に囚われた日本人だから、自戒を込めて書いている。
「5億円」は確かに超大金だ。だが、ここを「超富裕層」の最低レベルとするのはその俺でも抵抗がある。NRIのピラミッドではこの層が一番上、つまりもっと上を想定してない。だが、5億円10億円レベルの資産家と、著名な創業者や経営者等のケタ外れの「大資産家」を同じ「超富裕層」とするのは不合理だ。彼等は金の使い方も、生活レベルも、投資哲学も、ギリ5億円だけ資産のある人達とは「明らかに異なる階層」という推定が自然じゃないだろうか。
こんな事を言うと怒られるが、正直、「5億円」「10億円」程度では、もちろん日本での普通の生活には困らないとしても、所謂「マス層」や「準富裕層・富裕層」と比較しても、普段の行動や思考に顕著な違いは無いと思われる。
言い換えると、この程度では「湯水の如く娯楽、趣味、仕事、に金を常時注ぎ込む」様な余裕はなくて、あるいは自家用ジェットとか、毎日高級な外食とか、一等地の大豪邸とかも少なくて、それどころか「地味な生活」をしている人達が大部分だ。つまり資産が多いだけで、普通の人達だ。
とはいえ「超富裕層」は「単純に資産額の話」で「行動や思考は関係無い」という定義も可能だが、「生活様式や消費志向」が「国民の大多数」とさほど変わらない連中を「大金持ち大富豪」とするより、やはり誰が見てもイチイチ普通とかなり異なる人達だけを「最上層」の超富裕層とするのが自然と思う。
では幾らなら正しいのか?と聞かれると俺も困ってしまうが、大雑把に50億円くらいだとして、イヤ、この額で「やはり誰が見てもイチイチ普通とかなり異なる」となるか疑問も当然あるが、年2%で運用しても1億円だから、一応キリも良いし適当ではないだろうか。NRIの境界額の10倍だ。報告書でも3000万㌦、現在の為替で43億円位であるから近くて一応妥当だ。
長々述べたが、どこを閾値にするかは色々議論があるしどうでも良く、問題は5億円「程度」を「雲の上の大資産家」としてみんな納得しまう、日本人の「縮小、清貧、節約、自滅の思考」だ。しかもインフレが進行し、加えて円安も進行している。5億持っていればもちろん金持ちだが、ただそれだけ位に捉えるのが、デフレ思考脱却の第一歩だ。縮小倹約一辺倒では、日本人は全体で貧しくなっていくだけだ。どうだろうか。