ケーキ騒動から見る日本の問題について考える。
いきなりだが、2023年末28日辺りまで、「巷を賑わしていた」奇妙?な事件?があった。
年末年始に色々立て続けに起こってもう忘れられているかもしれない。多くの人が「高島屋ケーキ問題」で激論?していたのだ。今考えると何と平和だったのか。
もちろん顧客に嫌な思いをさせた売り主が悪いが、生モノであるケーキを配送させる方もどうなのかとか、製造業者の見通しを追求とか、連日テレビやネットがしつこく取り上げて、正直、騒ぎ立てる程の出来事か?とも多くの人が感じたと思うが、とにかく「様々な角度」から議論/報道されていた。
最早、当事者以外にはどうでも良いのかもしれないが、本日は日本人の気質にこじつけて、それに屁理屈を交えて、これを題材とする。
もし、荷物が「損傷」していたら、損害を被る「荷受人」「荷主」の抗議は当然だ。
今回のケーキ事件のは、第三者は別として、「荷主」「荷受人」双方が「損傷している」と(俺の知る限り)は認めている。従ってよく考えれば、あとはそれをどう保障するかというだけの問題だ。
それがなぜそんなに大騒動になったかというと、日本人の高すぎる「配送」に対する「要求」か。ケーキ騒動についても、「今後はケーキをちゃんと配送しろ。同じ失敗は許されない」という雰囲気があると言ったら言い過ぎか。
一般の配送においても、「どんな荷物も時間どおりに一切の損傷無く届けろ、失敗は(少なくとも内心では、特に自分の荷物では、一度たりとも)許さない」という(特に荷受人の)「圧力」が凄い。蛇足だがそれを「非常に低価格、あるいはほとんど無料に近い費用」で要求している。「清貧縮小脳」の毒だ。
だがドケチはいいとしても、その他にこのケーキ問題には重要な屁理屈論点があるのだ。
それは、何を持って「損傷」とするかだ。
製造/売り主と、顧客双方が「これは損傷だ」と認められれば問題は無い。
だが、今回のケーキに於いても、何千もの注文があったそうだから、ネットで出回った所謂「酷く型崩れした」モノの他に「それほど酷く無い」「崩れているか断定できない」モノも当然たくさんあったはずだ。高島屋は要望があれば全て返品/返金に対応するらしく、今後もあるからそれは合理的かもしれないが、もし「返品すべきものだけ対応」するとしたら、「崩れているかどうか」はどう判断するのか。
一般の荷物に於いても、「損傷がある」かどうか、どう判断するか。
移動/温度/湿度により、「生クリーム」の様なヤワイ材質だけでなく、何でも「製造時」と「配達時」に於いて形状は必ず変化していると考えるのが自然だ。つまり屁理屈で言うと荷物は全て損傷前提だ。
だから、荷物は損傷の「程度」を以て「返品/返金」を判断する事になる。だが、現実的にそんな事は不可能だ。
そもそも、原型情報は精々写真だが、「写真と比べて形状が30%変化している」とか、定量分析できない。
大体、レストランとかで「メニューの写真と大違いな料理」とか「広告の使用前/使用後の写真程の結果が無くて失望させられた化粧品」とかを「結構甘んじて受け入れる」事も多いのに、なぜ「厨房からテーブル」より何万倍もの距離前提の配送に、そんな高い要求をするのか。
つまり「配送不良判別問題」には直接解決法は無い。だから「不満ならどのような場合でも返品して返金可能、ただしそれによる損失(クリスマスに適時ケーキが無くて困る等)は責任を持てない」とするしか無い。
それだと返品ばかりする客も出てくるが、(売り手から見て)悪質なのはブロックされる。クレカ業界にはブラックリストがあるが、配送でも面倒な客には配送しないようにして商売を成立させる。
現状で「それでも沢山の人が、細かいところを気にして、返品しすぎて配送側/受取側、双方にとって損失になる」という可能性ももちろん有る。しかし「日本人の配送完璧主義」が行き過ぎていて、返品が多くなりすぎて、双方損して誰得になるのは非合理的だ。
従って社会全体ではある程度は「受け容れ」て、「それ程細かい点は気にしない」で「稀にとても受け入れられない場合だけ返品する」志向にした方が、結局多くの消費者、事業者にとって利益があると思う。どうだろうか。