某議員が能登で頂いたカレーについて考える。
いきなりだが、日本人は食い物の話が好きだ。食い物の恨みは怖いというから、世界中どこでもそうなのかもしれないが、とにかくそういう印象だ。年末のケーキ騒動もクリスマスケーキ(食料)であったから、当時あれほど耳目を集めた。
能登震災報道に於いても、未だに何日も前の「某議員のカレー事件」の議論が熱い。多くの人がどうしてもカレーが気になるらしい。
推測だが、これが「被災地で靴下を洗った」とか「その辺の道で排泄した」とか「避難所で緊急に被災者用に設置された広域無線ネットワークで動画配信した」とかだったら、ここまで騒がれなかったのではないだろうか。
それはいいとして、論争の基本は単純、「炊き出しの被災者向けカレー」の相伴頂戴行動の是非だ。「限られた食料を貰うとは何事か」という勢力と、「迷惑かけてない、問題ない」という勢力が争っている。
双方一理あるかもしれないが、「その他大勢の勢力」にとって、「現地の資源を失敬しても良い条件・基準」が無い、乃至ハッキリ決まっていない場合は「突き詰めると愚行」で「言語道断」だ。
なぜなら「これこれこういう事情なんだからいいだろう」等と各自各勢力が言い始めると、究極誰でも炊き出しで食い放題になってしまう。
某議員は残り物だったから迷惑かけてないとか、21時過ぎだったから問題無いはずだとか、正に「自分ででっち上げた条件」で反論している。被災地に入り込んで、物味遊山で動画を撮っている配信者が「腹減ったのでカレー食わせてもらった」と、何が違うというのか。
屁理屈かもしれないが「残り物だからいいだろう、迷惑かけてないはずだ」というのを含めて「いかなる言い訳」も究極成り立たない。
大体何をどう考えるとそれが「残り物」と断定できるのか。何らかの理由で食べていなかった人が、飲まず食わすでやっとその避難所に辿り着きそうな人が、その付近にもう絶対に居ないと証明できるのか。どちらかといえばその状況では「充分可能性がある」と考えても自然だ。
給仕する人がそういったとしても、その人だって証明できるわけでは無いので、甘えるべきではない。もう捨てるからそれを貰ってもいいだろうというのも甘い。
極限状態、非常事態なんだから、仮にも人助けに来ている以上、「まだ誰か必要な人が居るかも知れません」と「私達が捨てずに食料を維持しておきます、我々は自分の食料がありますので」というのが、本来ではないだろうか。
21時を過ぎだからいいだろう(もう遅い時間だから)というのも、ふざけた言い訳だ。21時という時間は何を根拠にしているのか。20時59分59秒まで待っていたとでも言うのか。20時55分だと問題があるとでも言うのか。21時以降に食料が必要な被災者が新たに現れる可能性は無いと証明できるのか。そんなことは出来るわけがない。勝手にでっち上げた定量的な条件で悪質だ。
ましてや緊急事態、予想もしない自体が起こり得る可能性が平時より高いから、残り物だからとか21時とか以外にも、「某議員の援護勢力」は色々言い訳しているかもしれないが、とにかくどのような条件も正当化されない。極端に言うと自分が餓死しそうでも、もしかしたら1分後に同じような被災者がいるかもしれない、と考えてもおかしくはないと思う。
とにかく「明確な条件や厳格な基準」が無い以上、現地の食料(を含むいかなる資源・物資)はいかなる理由でも頂戴すべきでは無い。だから正式に出動命令が出た人員や部隊が基本的に「自己完結」している。逆に言えば今後、このような下らない事で紛糾しないように厳格な基準の法律が必要だ。どうだろうか。