日本人の「清貧倹約縮小脳」の度合について考える。
今更だが、羽田の事故による「航空旅客に於ける乗客とパートナーである動物の扱い」に関して、ネットでは大騒ぎ?になっている。これだけ色々目にすると、自分でも相棒犬もいるし、考えさせられる。
ところで、今回の議論紛糾?は事故によって救助されなかった動物がいた事が発端となっているが、俺の印象ではそこから、事故や救助の場合のためというより、動物との搭乗をより一般的に(限られた便や高額な費用を払う場合だけでなく、広範囲で)許可すべきか、そうでないかという議論になっている感じがするので、それを対象とする。
ネットでは著名人を始め沢山の人の様々な視点からの意見があり、俺から見ると一々それぞれ一理有ると言うか、それなりに納得させられるが、その反論を読んでもまたそれも一理あるかとなってしまい、結局「自分の確固たる意見」があるという訳ではない。
大前提として相棒犬がいるから、旅客で一緒に色々な場所に行けるのであれば、大変良いとは思う。
一応超富裕層を目指しているし、いつもどおり?株主として考える。俺はETFの間接所有は別として、航空会社の株は持っていないが、直接株主になったとして、考えが変わるだろうか。
大多数の株主にとって投資先企業の経済活動の評価で重要な(筈だと俺が思っている)のが、第一に経済合理性だとすれば、相棒動物の旅客扱いにしても、法律の範囲内でサービスを提供して「経済的にペイ」すれば、一応問題無い。
従って考えるべきはその「旅客扱い」が、収益につながるかという事だ。ただの印象だが、これだけ色々な人が希望しているとすれば、それなりに需要はありそうだ。
仮に航空会社も需要があるのは分かっているとして、ではなぜ現在、広範囲に動物旅客が許可される便が運行されていないのか。
それは普通に考えれば、事業主が経済合理性に基づいているからだ。逆に推定すると、収益に繋がりそうならば、すでにやっている筈だ。実際にやってみてどうなるかは分からないが、計算上は負担増や失敗の可能性が、期待される収入を上回ると見込んでいるのだ。
株主の方も、もし収益に繋がると思えば「なぜやらないのだ」と経営陣に圧力をかけるはずだ。そういう話は聞かないから、経営陣、株主、双方「ペイしない」とソロバンを弾いていると考える。
だとすると、俺の勝手な結論としては、航空会社の株主だとしたら、甚だ迷惑な要望だ。一方で、もし相棒犬と旅行先へ、適正廉価な運賃で旅客として行けるとすれば、歓迎できる。
だから、「ペイしない」という前提であれば、そのサービスに於いては「株主、経営者、従業員」と「利用客」の利害が対立している。前者にとっては自分の投資資産、報酬、生活が掛かっているが、後者は究極そういうのはどうでも良いと思っているから、そうなる。
最近、JR京葉線で朝晩の通勤快速が廃止されるという方針に対し、沿線の利用者、とくに蘇我駅以遠の通勤利用者を中心に抗議の意見が報道されている。
彼等は通勤時間が長くなってしまうから、抗議するのは合理的だ。しかしこのような利用者圧力が、JR東が出した「安全性」「収益性」の調整結果(通快の廃止)を凌駕してしまい、譲歩するようなら、俺がJRの株を持っていたら、売却を考える。少なくとも経営能力に疑問を持つ。
もちろん、実際にどのような結果になるかは分からない。仮に安全面でも収益面でも間違っていたとしても、そこで株主が経営陣の責任を追求して方針修正すれば良いし、どうなるか分からないのに、また利害関係者は双方居るのに、事前に片方の圧力に屈するのは非合理的だ。
ここでまた勝手な俺の考えだが、考察を低俗に進めて、解決を妨げる原因はこのような「株主 対 顧客」のような構造だけでも無いという屁理屈を説明する。
動物旅客にしても、通快維持にしても、「ペイしない」のが問題であれば、「利用者」から「充分ペイする」ところまで料金を取れば問題無いとも考えられる。
だが、日本ではそのような値上げは事実上不可能だ。なぜなら、俺を含めて日本人の多くが「倹約縮小思考」に囚われているからだ。
実際は様々な要素や思惑が絡み合って単純ではないが、思考実験として京葉線を例に「倹約縮小思考」の程度を考える。
JRの、この投稿時点での時刻表によると、蘇我駅を朝通る通勤快速は2本あり、その近接した時間に代替できそうな特急も2本(さざなみ4号と6号)ある。「乗換案内」によると運賃は770円、特急は自由席で550円か520円の追加だ:
さざなみ1004M 蘇我 07:30発 → 東京 08:12着 (所要42分) 1320円
通勤快速2784A 蘇我 07:44発 → 東京 08:26着 (所要42分) 770円
通勤快速2606A 蘇我 07:58発 → 東京 08:39着 (所要41分) 770円
さざなみ1006M 蘇我 08:11発 → 東京 08:48着 (所要37分) 1300円
実際ダイヤ改正後は特急がどのような影響を受けるか知らないが、仮に 1)上記特急は維持される、2) 到着時間が許容範囲内、3) 朝の通勤が問題、4) 各駅だと通勤快速より20分長い所要時間、だとして、利用者は1日片道550円(割合にして70%増)程度の負担増を受け入れられないという事だ。乱暴に言い換えると、通勤快速を強硬に維持しろという勢力は、「俺達にとって各駅と特急の20分の差は550円の価値もない」と主張しているとも言える。
賃金時給と通勤時間の費用は並べて評価できないかもしれないが、無理やり同列として議論を進めて、20分の価値が550円というのは、時給にすると1650円だ。日本人の年平均就労時間は1605時間、サービス残業もあるから1750時間とすると、大体収入は280万円あればいいと考えているともこじつけられる。
だが、実際の給与所得は平均だと450万円とか、中央値だともっと低いが、280万円は相対的に38%安い。そしてそれが日本人の「製品倹約縮小度」の一例だ。もらう方も、出費する方も、4割弱安くなる。これが倹約縮小の猛毒だ。
450貰っても使うのは280という思考だと生活は切り詰められ、例えば動物の旅客扱いに於いても、少なくとも当初は事業者が「ペイする」と考える程、利用者は払わないだろう。すなわち事業は立ち行かない。どうだろうか。