少子高齢化問題は、誰にとってより深刻な問題か、について考える。
今更だが、先日「2023年の出生数速報値」が発表され、しかも隣国のナントカ出生率もダントツ世界最低更新とかで、少子化とか人口関連のニュースや投稿が多少目立つ。
まず、「(日本の)少子高齢化・人口問題」について、不快にさせるかもしれないが、俺の考え?を述べる。
どこが少子化になろうが、高齢化になろうが、どうでもよい。気にしない。
これは、俺は「超富裕層」を目指し「資産伸長の達成」が当座の目標で、「少子化」「戦争」を含む「どのような問題」でも、「そうなったらどう投資運用するか」という「対応」を考えるのが大切で、その問題自体の是非は考えてもしょうがない、という「方針」に基づく。
無論戦争は無いのが理想で、著しい高齢化も好ましくない。かと言って「こうなる、こうするべき」という確固たる信念もない。敢えて言えば、是非はともかく「少子高齢化」に関しては、海流のようなもので逆らうのは困難、足掻いてもしょうがないと感じる。
低俗人間である俺の考えはどうでもよい。
少子高齢化は地域や国家などの「大きな範囲での問題」であるが、当然の事ながらその「深刻度」「影響」「余波」は、各自の属性や状況によって大きく異なる。
個別の影響度を一々評価しきれないし、総体で「国民全体の問題」として論じられる事が多いが、例えば「金持ち度」「富裕度」「純資産額」で考えたら相当差が出るのではないだろうか。
ところで俺は低俗人間?と自称する分際で、なぜ上で書いたように「(単なる強がりでないとすれば)少子高齢化はどうでも良い」などとタカを括れるのか。
それは、この瞬間は少なくとも、それなりに「健康的、経済的余裕」があるので、「少子高齢化による諸問題は自分にとってはそれほど問題にならない」「生活の質に関連する範囲では多くが自分で解決可能」と(実際どうかは別として)思っているからだ。
運輸業、サービス業等で少子高齢化の余波といえる所謂「人手不足」問題が起き、国力通貨力低下等による「物価高(インフレ)」問題も起き、その他様々な軋みが生じている。その中にはお金で解決できる問題もあるだろう。
もちろん物理的に人間がどんどん居なくなり、生産年齢人口も激減するから、金があってもどうしようもない問題もあるが、経済的余裕が有る勢力にとって、人口問題がより深刻であるとは思えない。加えて、地域的問題には別の場所、国全体の問題には外国移住という「自由度」も相対的に高い。
という事は「経済的余裕がない、少ない」人達にとっては、諸問題がより深刻になる(可能性がある)ということになる。だとすると「少子高齢化問題」というのは、当たり前に「格差(拡大)問題」だ。
しかも、解決しようとする事自体も、「単純な格差拡大」だけでなく、その「悪循環」を「より増幅」させる危険がある。以下、説明する。
社会の諸問題というのは、その余波影響を被る人達がまず解決向けの行動をしたり圧力をかけたりする筈だ。困っている人達にとって深刻な問題だから自然だ。
だが、「経済的余裕がない、少ない」人達にとって少子高齢化問題がより深刻なのであれば、どうも我が国に於いては、少なくとも表面的には、「困る人達が圧力をかけている」ような実感は無い。
しかも「収入が多い方が子供が多い(あるいは子供のいる世帯の収入の平均値や中央値が、いない世帯と比較して高い)」という統計もあるし、そうでなくても、貧困層、低収入だと「余裕がない」という理由で出産を避ける圧力がかかる。
そうすると、全体の少子化に抗うには「高収入層の出生率頼り」となり、出生増には高収入層増が必要だ。全体の収入が高くなる結果として高収入層増になればまだ良いが、現在の日本では生産性が高まりそうにないため、今後もそう変わらない総生産量(稼ぎ)が分配されて、高収入層が増えるとその分、格差がより拡大する。
そんな不公平を世間が許すはずがない、と思うかもしれない。俺もそう願いたい。
しかし考えてみてくれ。
ある夫婦が「以前は出産を諦めていたが、出産を積極的に考えるようになった」とする。
普通に考えて、何らかの「変化」があったはずだ。その変化とは何か?
真っ先に思いつくのは、「家計の改善」や「収入増」だ。
では、全体の「稼ぎ」が不変であった場合、ある世帯で収入増となるためには、他の世帯にどのような影響があるか。全体量が変わらないのであれば、増える所があれば、その分減るところが出る。つまり、格差拡大がより大きくなる。
このような考えは極端だが、「高齢化問題とその対策」は格差に悩む勢力にとってより深刻な問題の可能性が有る。どうだろうか。
#少子高齢化問題は誰にとってより深刻な問題か1