少子高齢化問題は、誰にとってより深刻な問題か、について(引き続き)考える。
先日の投稿では、全体の稼ぎが増えないと、少子高齢化対策自体が「格差拡大を増長させる」可能性について考えた。
では、「総量が増えなくても”収入が多い所”から低い所に移転する」のはどうだろうか。これ自体では「収入格差」は拡がらないかもしれない。
「高収入層からの所得移転」すると「金を取られた側の出産数減」もある筈だから、総合で出産増になるかは難しい問題だが、それは置いておくとしても、その様な移転の有効性は疑問だ。
色々統計は有るだろうが、例えば経済的な問題で出産が難しい夫婦の平均年収が350万円、積極的になるのが年収700万以上だとする。その差は350万円だ。で、夫婦が出産適齢期であるがそのような経済的困難が伴う家庭が1000万世帯あるとする。数字は大雑把だが、概算で考えるためこれでよかろう。
この1000万世帯に、「所得移転」で出産に前向きになってもらおうとしたら、350万円×1000万世帯で、35兆円必要だ。そもそもこれだと「移転先対象外世帯」に著しく不公平だが、それはこの際無視するにしても、これは年収で考えているから、35兆円が毎年必要だ。NRIの2021年の資料によると、資産1億円以上の日本人の総資産は大体350兆円超だから、この富裕層、超富裕層、の「全財産」を「所得移転」しても、その資金は約10年で枯渇する。
もし、その間で総生産量急増等、何らかの「著しい人口・経済改善」がなければ、10年間で出産が増えたとしても、資金枯渇後はそれ以上所得移転できないから、経済的困難の状況は元に戻り、一時的に少子化の速度を緩めるくらいにしかならない可能性が高い。
しかもそのような所得移転をすると資産家は慌てて逃げ出すから、所得移転資金も10年持たないだろう。
その上、資産家、資本家は「元手」を事業等で投資してより大きい「生産量」として戻して儲けるのが生業であるが、その「元手」を「所得移転」に使ってしまうから、潜在的な「生産量増大」の芽も摘み取る事になる。
「移転」された側が各自、新事業、起業等で「生産量増大」に貢献するかもしれないが、100億円あったら「有望そうな100人」に1億円ずつの方が、何も考えず1億人に100円ずつより可能性がありそうと考えるのが自然だから、移転で資本が分散する程、「新規事業」「規模拡大」「生産性工場」の効率は期待薄となる。そもそも貰う方は日々の生活で困っているから、当然といえば当然だ。
そもそもそういう「新事業への投資」は、無理やり「所得移転」しなくても「資本家」が自分で厳選した、有望な「事業家」「起業家」に直接投資すれば良い。
結局「金を金持ちから動かす」とかより、真っ当に「全体の生産量(稼ぎ)を増やす」事で各世帯、各家庭の”経済的困難”を緩和するのが、現実的と考える。
しかし、こう考える人もいるかもしれない。
「収入が低くても、将来の希望があれば出産は増やせる。政治や社会がその”希望”を失わせているのが原因だ。経済成長とか金儲けとかより、そういう原因を作っているケシカラン人間達を一掃すべきだ」
言い換えると、悪いこと?をやっている、社会の敵みたいな連中が元凶という理屈だ。政権政党の政治家とか、金は有るが老害で周囲に迷惑をかける連中とか、まぁそういった人達が対象だろうか。
何となく気持ちもわからないではないけれども、排除理論も効果は疑問だ。
最近、以前の「老人は集団自決」発言を問題視されて、とある広告から降板させられた間抜けがいたが、そういうのを含めた「邪魔な連中は断固排除すべし」と主張する人達は、邪魔人間が居なくなりさえすればそれで自動的に問題解決と本当に信じているのだろうか。
それで希望の有る社会になると言われても、俺はその間の具体的な遷移が想像できない。
「排除しなくても、とにかく将来や社会にもっと期待や希望が持てる世の中にしてほしい」というもう少し穏健な主張もありうる。オレも将来の希望は有る方がいい。希望のある社会は誠に結構だ。
だが、「(例えば、出産をより積極的に考えられそうな)将来や社会にもっと期待や希望が持てる世の中」というのは、一体どんな世の中なのか。
そういう統一妄想?から俺が想像するのは独裁政権が掲げる胡散臭い宣伝広告の絵や写真の薄ら寒くなる描写で気味が悪い。それはいいとしても、控えめに言ってそのような「理想」というのは、各自「違い」があるだろう。
正反対の「理想」もよく議論されるものだけでも、色々ある。死刑、国防、エネルギー、教育、移民、様々な分野で「これが理想的だ」というのが、人によって全く違うと思うが、「何が正しいか」は別として、各自異論があるのは自然だ。
結局、それぞれの是非を争ってもしょうが無いから、全体としては、やはり「経済問題」に集中するのが無難だ。どうだろうか。