リニア中央新幹線(以下、[リニア」と略)について考える。
一凡人 求職中の素人視点なので、真に受けずに疑って読んでくれ。
今更だが、リニアの工事に立ちはだかって?いる、以前から問題発言連発の静岡県知事(以下、「K知事」と略)だが、先日入庁者に向けた訓示で「農業、酪農業、製造業と違って、あなた達は頭脳・知性が高い人間だ」的な、職業差別とも取られる内容の発言をして、結局もうすぐ辞任するハメになったらしい。
K知事はリニアへの強硬姿勢は別にして、性別、職業、学歴、地域、等々で舌禍を繰り返し、とにかく「底が浅く」「他を見下す」本性がミエミエだった。恐らく、県庁の職員や、静岡県民でさえも、心の中でバカにしている可能性がある。本件も正直「またか」という感じだ。一方選挙になぜか?強く、工事を制御する権利をタテにリニア計画は半ば頓挫していた。
K知事は、「舌禍→開き直り」を何度も繰り返すところから見て、「考えを口に出していってしまう軽率さ」があり、すなわち各方面と関係悪化の原因となり、政策実行に影響が出るから、確かに政治家として問題があるから辞任も当然だ。
そして俺はよく知らないが、3期も4期もやったのに静岡県政において大した業績も無いとすると、県民としても「リニア絶対反対」勢力の方々以外にとっては、居なくてもそれほど困らないと思われる。
だが、怒られてしまうかもしれないが、俺個人としては「数々の失言」は、大したことは無いんではないか、と思ってしまう。
なぜなら、人間だから、奇妙な哲学とか、変?な思想とか、ケシカラン思考とか、何かしら多少はあるものだ。そしてそれを頭の中で妄想するだけなら、それは非難される事でもない。それが実際の行動に悪影響する、した、と証明できれば糾弾されるのかもしれないが、そんな因果関係は証明はできない。そもそも、頭の中で考えていることまで批判される言われはない。
Kは失言で辞めるべきというより、失政でやめざるを得ないと考える。
それはいいとして、俺は、リニアについては特に賛成でも反対でも無い。正直どちらでも良い。計画中や建設中は特に賛否が「政治的」要素中心になるので、余計よくわからない。戦艦大和や高速増殖炉になるかもしれないし、各地の新幹線・道路や一部治水事業の様にペイするかもしれない。
ところで、こうなってしまうと「K知事といえばリニア反対と問題発言」という印象で固まってしまった。名前も知らないような知事がほとんどだから何かあるだけマシかもしれないが、このような印象でほぼバカにされて辞任となってしまう以上、結果的には「失敗知事」だ。「汚点」といってもよい。プライドが高そうだから悔しいだろう。
今後も「リニア開業を延期させた人間」として裏?歴史に名を残す。今後逆転があるとすれば、開業後に大井川の水量が激減して「Kの指摘は正しかった」となる場合だが、そうなったとしても死後であろうし、JR東海も威信をかけてそれを阻止するだろう。なんなら、当てつけに「新知事との工事の交渉がまとまった時点で、敢えて27年開業を無理やりにでも目標にする」とか言い始めて、仮に結局無理だったとしてもそれまでだけでも借りを返してやると思っても不思議ではない。
だから、「成功知事」としてもし名を残したかったのなら、後の祭りであるが、リニア工事を取引材料として「JR東海から分かり易い妥協」を引き出す事であった。
JR東海だから鉄道関連ならば色々取引できた。そうすれば、静岡駅とか浜松駅とかで銅像が立って、崇められたかもしれない。鉄道関連以外でも、お金で取引して教育でも港湾でも何か業績を残せたかもしれない。
JR東海の立場を考えると、取引はそんなに難しい事では無さそうだ。なぜそうしなかったのか。完全想像であるが、超富裕層も陥りやすい構造かもしれないので考える。
第一に、ボンボンが故に「リニア素通り」が知事になった途端許せなくなってしまい、そこで思考停止し、取引しようと柔軟になれなかった。「頭にきた。邪魔してやる」と強硬になり冷静になれなかった。
第二に、その上時間が経つにつれて、リニア反対で引っ込みがつかなくなった。支持者もその方向で固定されるし、今更考えを変えるとそれはそれで非難轟々だ。学者だから自説の負けを認め難かったのもあるだろう。
そして自然保護とか水量云々は分からないけれども、取ってつけたような理由の印象だ。でも周りがそれで固まっている。邪推だが俺は本人は最早それほど反対でも無い、というかどうでも良くなってきていたと考える。
そもそも辞めたら計画は進んでしまいそうだし、本当に本心から反対なら、まだここからでも粘るだろう。
第三に、逆説的だが、そろそろ県民も飽きてきたというか、調査議論も充分何年もしたし、という空気が多少はあるだろうから、ここが「取り引き」する良い時期であったのにそこまでの辛抱ができなかった。
JR東海も開業延期を発表して忸怩たる思いだったが、K知事がいる限り工事はできない。知事が死ぬのを待つわけにもいかない。かといってこのままでは困る。今こそ妥協案を打診すれば、非常に良い条件で纏まる可能性もあるんじゃないだろうか。
という事で、意見の衝突にはハンタイ運動のように「とにかく反対、一切妥協しない、永遠に反対運動する」では旧日本軍のノープラン作戦みたいなもので、本当は所謂「出口戦略」が必要であり、そのためには何を得るために何を犠牲にできるのかという「見通し」と、実現のための時期を見極める「粘り強さ」が必要だという教訓を学んだ。どうだろうか。