
個人的投稿の炎上について考える。
今更であるが、「◯ね」とか「臭い」とかいった短文投稿で、有名無名の人々が炎上騒ぎを起こしている。まだ完全消火には至っておらず、燻っている印象である。
政治家、一般社会人、その他、大小を別にすれば炎上は常時起きているが、超富裕層を目指すための教訓にコジツケて何か論点はあるだろうか。それは深く考えるまでもなく「何も無い」と思われるが、あえて投稿するためにも「暇人屁理屈視点」で考える。
屁結論からいうと、ネットに限らずこのような「舌禍」というのは、「対外的に何を言動する(しない)のが無難なのか」という、「技術論」以外は虚しい。また、投稿というのは炎上前提にならざるを得ないしそれが健全だ。
第一に、人間というのは何を考えようと、何を想像しようと、何を妄想しようと、当たり前だが自由だ。人には話せないような事でも、少なくとも考えるだけなら問題無い。仮に問題だとしても、頭の中にあるだけでは他人は知りようがない、確認しようがないので問題に出来るはずがない。対象となるのは、対外発信された「言動」だけだ。
つまり、冒頭のような「もし対外的に主張したら問題視される可能性がある」ような「◯ね」、「臭い」、等というのは、それ自体の是非はともかくとして、自分の頭の中に秘めていれば問題なかった。
日本には「言論の自由」があるから自由に対外発言しても良さそうだが、実際は「言論の自由(但し炎上は覚悟する)」というのが実情だ。
第二として、仮に「誰かに言いたくてしょうがない」状況になり、思わず?頭の中から出てしまう場合でも、親しい友人とか、家族内の会話とか、いわゆる「内々に留めておく」程度の拡散にしておけば、大炎上には繋がりにくい。
聞いた人がネットに上げてしまう可能性もあるが、「真意が伝わっていない」とか、証拠が無ければ「そんな事一切言ってない」とシラを切れるかもしれない。とにかく本人直接ネット拡散よりは大分マシであろう。
という事は、見方を変えれば「珍説やマヌケ主張や悍ましい考え」を「開陳」する際の「情報管理」の問題だ。その際「倫理」はどうでも良いのだ。
第三に、では「公開しても良いか悪いかの基準は何か」が重要だが非常に難解だ。俺もよくわからないが正直「基準は無い」乃至「基準は曖昧」というのが実情かもしれない。倫理とか正義とかは主観的側面が強く、絶対的判断は不可能だ。
「明日は晴れそうだ」と投稿しても、無理やり問題視しようと思えば、あるいは悪意のある人々ならば難癖を付けるのも可能だろう。
あるいは、家族の写真や趣味の情報などでも、絡まれて炎上するかもしれない。
つまり炎上を避けるには結局「何も投稿しない」というのが合理的だ。有名人の中には一切SNSの類をやらないというのがいるが、ある意味良い対応と言える。あるいは、もうちょっとAIが成熟すれば「炎上するかの判断」をAIに頼っても良いかもしれない。だがまだ少し先の話だ。
第四に、逆になぜ人間は面倒が分かっているのに、それでも自分の意見とか考えとか不満とか、等などを(気軽に)投稿してしまうのか。
散々エラそうな事を書いたが俺自身がここで駄文を公開している。可能性は殆ど無いが炎上がゼロとは言えない。なぜやるのか。
人によるが、究極人間というのは自分の話や考えを人に聞いてほしいという欲望があるらしい。そうでもなければこんな駄文は書かないし炎上者も他人に毒づいたりそうはしない筈だ。
不満や意見というのは、吐き出せないと思い詰めてしまったり心身不安定の原因にもなりうるから、差し引きでネットでも友達でも、ガス抜きになりそうな出力先があるならば、一切合切の出力を止めるよりは、一応、人種、宗教、性別、等々に気をつけつつ、意見を積極表明したほうが健全であろう。
というわけで、何時もの通り凡庸な結論だ。どうだろうか。
全て、個人の意見だから、自分でもよく考えてくれ。
投資は自己責任。言動は自分の思考で。ではまた