求職中の俺が労働について考える。
真に受けずに疑って読んでくれ。
まず無職への過程を簡単に記す。
働いていたが、引っ越す事になり、そこにその会社の事務所がなくて辞めて、その後仕事が見つかっていない。就職をまだ諦めてはいない。
人材を求める企業よ、俺を雇いませんか?あるビジネス系SNSに職歴上げてるので、俺を探してくれ。ヒントは無い。
さて、労働については、様々な考えがある。
家事や育児、自分が食うものだけを作る農作業、机の上を整頓、街のゴミ拾い、全部労働だよな。そういうのに否定的な人はあまりいない。
賛否?あるのは雇われる場合だ。
時間を削って、人間関係も煩わしいし、通勤も苦痛だし、何よりやりたくない仕事をやらされる場合が多いのが雇用労働。
みんな、誰にも指図されずやりたい事をやりたい時にやりたい。
すぐにそこに辿り着ける人はごく一部だ。すると、その「究極目標」に至るまでの過程をどう考えるかだ。まぁ先立つのは金だ。
新卒にとっては雇用労働はそのための効率良い手段の一つだ。どうせこの手段を使うなら、効率良く使うよう考えるべきで、頭から否定は「究極目標」から遠ざかってしまう。
なぜ「新卒にとって効率が良い」のか?
大学では、一部の専門分野を除き「社会で食うための技能」を教えず、学生は丸裸で社会に出される。
よって新卒は、技能教育される。そしてそれは使える技能でないと、組織が立ち行かない。だから新卒は、就職後に給料を貰いながら、有効な技能を身に付けるのに組織を利用できる。その技能はいずれ高く他社が買ってくれるかもしれない。労働市場を利用できる。
知恵を絞って、効率よく、自分に都合よく、このシステムに乗れれば雇用労働もペイする場合も多いと思う。歳を取ると教育してもらい難くなるので、若くてシステムを使えるうちにうまく利用できれば良い。
自分のプランがしっかりあるのならまだしも、そうじゃないのに、最初から「労働はバカらしい、俺は人に雇われたくない」などと嫌悪してシステムから外れるのは結局、究極の目標から遠ざかる可能性もある。
もちろん放置する酷い会社もある。もし、そこしか入れないのなら、効率が悪いので就職しないで、職人を目指すとか、手に職つけられる学校に入り直すとか、改めて他を考える。
つまり、そういうキャリアプラン(技能習得→目標金額を得る)の人は、会社選びには知名度とか、売上とか、好きな製品造っているとか、もしかしたらやりがいとかさえも重要でなく、技能教育システムが最重要かもしれない。
あと、これは技能に関係ないけど、パートナーを見つけるチャンスが増える。パートナーに関してはいかに大事か、以前の記事で書いた。
調布 有子(ちょうふ ゆうこ)さんの紹介、信頼できる人の大切さ
職場というのは、特に若いうちは、効率の良い出会いの場所であることは、事実だろう。使えるうちに使うのが良い。
さて、ここまでが前段だ。
「卒労働」でもいいはずの俺が、なぜ労働意欲あって、求職中なのだろうか?
これは説明が難しい、俺が「技能の魔力」と呼んでいるものの影響だ。超短編小説のあらすじ的に説明する。
技能人として庭師がいる。修行して技術を身につけ、ある程度稼いだ。引退してもう誰の指図も受けない。自分の庭で好きな時に自分がやりたい庭師作業をやる。
しかしある時、「巨大庭園を作るのに庭師100人募集」という広告を見てしまう。
すると、組織のストレスが分かっていても、巨大庭園など興味が無くても、せっかく得た刀が錆びつくのが忍びないのか、1人で誰にも見られない庭を作っても虚しいのか、1人ではできない作品を、組織を利用して、自分も参加して完成させるとどうなるのか、と思うのか、理由はわからないが、不思議と技能を使ってムラムラとそれを作りたくなってくる。悩んだ挙げ句、応募してしまう…
俺は庭師では無い。俺の「技能」は大したものでは無いが、それを使って、1人では作れないものに対して、本当に作りたいものでなくても、「それ作るのに技能が使えるな…」と思ってしまうのだ。「こんなもの誰が喜ぶんだ」という否定より、「自分の技能を使いたい」が勝ってくるのだ。果たせないかもしれないが、だから求職中なのだ。「経済的な余裕」さえも越えてくる、恐ろしい技能の魔力だ。