凡人(俺)の哀れな求職活動。
真に受けずに疑って読んでくれ。
電子メールの受信箱を、チェックする度に緊張度が増してくる。
まだ来ていない。しかし何度も確認してしまう。確認の間隔も短くなってくる。
待っても待っても、連絡が何日も来ない。これが、もうすでに悪い兆候だ。
なぜなら次に進む場合は、経験上、迅速に返事が来る事が多い。向こうも募集しているわけだから、雇う需要があるのだ。使えるやつならば、なるべく早く働き始めてもらいたいはずだ。
そう分かっているが、いつもそうとも限らない。ハッキリするまで諦める訳には行かない。淡い期待、すぐにどうせ打ち砕かれると分かっている希望を持ってしまう。
そして、ついに、返信が来る。
だが、来たその瞬間に結果が分かる。
いや、開かなくても分かってしまうのだ。
「あぁ、やっぱり、また、ダメだったか…」
一応、本文を通読して「お祈り」を確認する。何とも虚しい。
そう、この会社にも、またきっぱりと断られたのだ。
「労働力としては必要ない」と。
あるいは、
「他にもっと使えそうな応募者がたくさんいる」と。
大体、ここを通過しても、この後、雇われるまでには、まだ何回も関門を突破するのだ。合格を続けるのは無理がある。
ここも縁が無かったのか。もう、憧れの大きな仕事や、自分もよく使う、あの製品に関わることは出来ないのだ。夢は破れたのだ。
これは現在まで何回も繰り返されてきた、哀しく虚しい、俺のほぼ実話だ。ほぼ実話だけに、臨場感があるな。
俺の様な「終始怠けてきた凡人」には、就職戦線、転職戦線、を希望通りに勝ち抜くのはむずかしい。そもそもそれなりの努力をしていても希望を叶えるのは一部の優秀な人達だ。せめて学校の成績くらいは頑張っておけばよかったが、学校ですでに大ナマケなのだ。
それでも栄光を求めて、また藻掻きながらも、求人市場に挑んでゆく。何回ダメでも、最後に一度成功すれば良いが、失敗が続くと戦意を喪失してしまう。それを乗り越えて再挑戦するにしても、どうせまたダメだろうという敗残者の思考が段々と根付いてくる。最初は楽観できていても、どんどん次の応募が怖くなってくる。あと何回耐えられるか?成功するには失敗しても止めないことだと言う人が多いが、50社か、100社か、いや、最悪、永遠に通らない可能性もあるのだ。どんどん年齢も高くなってゆくし、無職期間も延長されていく。採用側も100連敗の応募者は出来れば取りたくないだろう。なぜならそれだけの統計だと、運が悪いだけというより、何か問題があると推測するほうが合理的だ。
しかし、聞いてくれ。
ある時、また、いつもの様に「お祈り」された俺は、そこに射す一筋の光に気がついた。
そもそも求人に応募してみようと思う対象は、自分が入る入らない関係なく、それなりに成長が期待できる「投資先としても良さそうな会社」を選んでいる。泥舟会社を選んで応募する酔狂なやつはいない。だからその会社の株を買えば、俺はそこの商売に、就職しなくても、乗る事ができるのではないか?
中に入って戦力になれなかったが、俺以外の、あの試験を勝ち抜いた、優秀な社員がやってくれるだろう。そいつらの力を使って、有望会社の成長の馬車に、俺も株を買って徒歩で後をついて行けば良い。ダメそうなら売ればいい。
俺にとって、暗闇の無職の荒野にきらめく閃光、お祈り地獄に天から射す一筋の光、それは俺を「要らん」と言った会社への、株式投資だった。
こうして俺は、投資の神によって超富裕を目指す道へ導かれたのだ。どうだろうか。