超富裕層になるための、ミニマリストの非合理性の補足

2021-07-21 投稿

超富裕層

ミニマリストについて再考する。

何の専門家でも無い、一凡人 求職中の素人視点なので疑って読んでくれ。




突然だが、以前、「ミニマリスト」について投稿した。

ミニマリストが理解できない

突然だが、「ミニマリスト」という生活様式を標榜する人達がいる。所有は極一部の必要な物に留めるという考えに関連し、以前、似たような内容を書いた。だが、ネットで見てみると、違和感を感じる。なぜなら超富裕層を目指す俺の金科玉条、「合理性」とかけ離れている。俺が以前モノの整理で主張したのは、時間の節約を目的とした「管理と処分が容易か」で、最低限のモノ量の維持を徹底する必要はない。時間の浪費がなければ、多少雑然としてても問題無い。普通みんなそうだろう。

要旨は、ただモノを減らすだけでは非合理的という事だった。

ところが先日、やむを得ない事情があって、非常に限られた物品や家具以外、家中のモノを収納や物置にしまう(目に付かないところに隠す)必要があり、ありとあらゆる生活用品、衣類、食器、電気機器等を元あった場所から、倉庫やクローゼット等などに移動した。何日間になるか分からないが、しばらくその状態での生活となる。意に反して、擬似ミニマリストとなった。

そして、すぐに分かったことがある。

これでは便利な生活など不可能だ。少なくとも超富裕層を目指すはずの俺には無理だ。不便でしょうがない。非効率的で無駄な時間を浪費する。

例えばコーヒーやお茶を淹れるだけでも、様々なモノを収納から出す。そしてより面倒なのが、何かを使用する度、目につく場所からモノを排除した状態を維持するため、その都度元の場所に戻す。ゴミ箱もそこら中に置いておくと望まない生活感が出てしまうということで、ごく小さいモノが一箇所だ。するとゴミを捨てるのも一苦労だ。生活というのは常に大小のゴミが出てくる。

歯磨き、着替え、犬の散歩、掃除洗濯、就寝、食事、等々、出し入れ作業が通常状態の2倍以上になる。何か必要な際、すべて「目につかない場所」に収納してあるわけだから、どこにあるかすぐに分からない事もあるので、いろいろ開いたり探し回ったりして、余計面倒も増える。結局、必要に応じてすぐに収納する態勢にしておきながらも、非常によく使うモノはしょうがないから一応出して置く事になる。するとさまざまなモノが室内に常時出してあることになるのだ。人間というのは目につく所にある、こまごまとしたモノに支えられて便利な生活をしているのだ。高価とか関係なく、実に様々なモノや道具が実際は身の回りに常時あるのだ。

ミニマリストは収納にしまうのでなく、所有もしない。必然的に様々な利便性を諦めることになる。その結果で得るものによるが、そう簡単に身近な利便性を超えるものがあるだろうか?

コーヒーを机でこぼす。よくある事だ。処理に必要なモノが近くの収納にあればまだ良いが、ミニマリストだから処分してしまっているかもしれない。その場合どうなるのか。放っておくのか?わからない。そもそもコーヒーを入れる道具も無いはずなのだ。だってミニマリストなんだから。コーヒーを飲みたくなったらいちいち深夜の吹雪の中でも、早朝起きたばかりでも、コーヒーを淹れてくれる遠くの店に行くのか。そもそもそのような店は開いていない時間外だったらどうするのか?謎だ。

こうしてみるとミニマリストはモノはミニマルかもしれないが、面倒はマキシマルの可能性さえある。という事で、擬似的ミニマリスト体験により、それがいかにバカバカしいもので、また非現実的であるかが分かった。どうだろうか。

管理人

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