超富裕層と友達 (2) 友達の使命

2021-09-07 投稿

その他

友達の使命について考える。

何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。



数日前、何とも微妙な友達という関係について考察した。

超富裕層と友達 (1) 友達デッドロック

突然だが、君、友達はいるか?何人くらいいる?あるいは、親友はいるか?人間不信が蔓延るこのご時世、ハッキリ「N人(N > 0)」と答えられる人は相当な強者じゃないだろうか。俺が思うに、人間、真の友達同士になるのは非常に難しい。本日はこの証明を多くの屁理屈を交えて題材とする。大げさだが屁理屈だから真に受けず、半ば冗談として、気楽に読んでほしい。その前に、先の質問への、俺の場合の茫洋とした返答はこれだ。それなりに無難だと思う。「うーん、まぁ、そんなに頻繁に会う人はいない。」さて、俺が思うに、「トモダチ質問」というのは、様々な問題がある。友達・友人について考える

要旨は、友達同士といっても、思っているほど確かな関係にはなりにくいということだった。

本日はその続編として、友達の使命は何なのかについて考えてみる。

明確な定義は置いといて、凡人投資家の俺は、自分には友達が居た方が良い(今実際に俺に友達がいるのかはどうでもよい)。ただ、それはイザという時に頼れるとか、困った時に助けてもらうとか、そういう事では無い。

そもそも、本当に困っている時、助けてくれるのは友達ではない。誰かが助けてくれるとすれば、それは家族だ。

そりゃ、それ程迷惑でなければ、友人も助力する事もあるだろう。でも、無理なくできる範囲内での事だ。例えば、借金が何百万円あり金に困っている友人が少し金貸してくれ、と言ってきたとして、数万円位なら一度貸す事もあるだろう。それ程無理しなくても済む金額だ。しかし友人のためだからといって借金全額を負担するというのは非現実的だ。人が本当に困った時の助力というのは、大概助ける方も自分を顧みない助力になりがちでタダでは済まない。

逆に言うともしそのような状況で家族以外の誰かに無償で助けてもらったことがあるとしたら、その誰かは友達ではなく、それ以上だ。家族では無いから適当な名詞が無いが、友達よりずっと上、親友よりも上、家族同等の存在だろう。

しかし友達は助けてくれないかもしれないが、ちゃんと使命がある。

それは、話し相手になってくれるという事だ。相手からも同様に自分が話し相手になる。

君は、気軽に会話できる人間がいるだろうか。用事もないのに長電話したり、時には会って話し込んだりする事はあるか。

俺が思うに、人間は長い間どうでもいい長話とか世間話をしないと、まぁ死にはしないかもしれないが、何らかの悪い副作用が出そうだ。そんなことない、俺は大丈夫、という奇特な人は、もし出来る事なら実験してみてほしい。もし誰とも無駄話せず正気を10年保ち続けたら、俺もこの説を取り下げる。会話をしていないという証明のしようがないけど。

人間はどうでもいい話をする生き物だ。健康維持のためにも、適度な無駄話が必要だ。家族同士でも良いが、家族にも限界がある。友達というのは横に増やせるし、仲が良ければ長い無駄話をするのにお互いに最適だ。友達の条件は人それぞれだが、時々お互い気を使わずにに会話できれば、それ以上求めるのはお互い疲れてしまわないだろうか。それ以上求めるとしても、何を求めるというのか?

という事で、何でもない話が遠慮なく出来る、それだけのトモダチを、出来るだけ作った方が良い。現代はオンラインサービスで無駄な会話がしやすく、ある意味良い時代かもしれない。どうだろうか。

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