カレーとカレースパイスについて考える。
何の専門家でも無い、凡人 (求職中) の素人視点なので、真に受けず、疑って読んでくれ。
日本の国民食:カレー。
どうでも良いが、俺も人並みに「カレー」、乃至、「カレーライス」が好きだ。自炊でもよく作るし、外食でも好んで食べる。特に自炊では、比較的に簡単にできるし、そんなに不味くなりようがないし、作り置きも出来るという事で、一般的にも人気がある。大人数キャンプ等では定番、学校の授業でも必ず制作がある(気がする)。とにかく日本中で毎日そこら中で作られて食べられているのがカレーだ。
最初はインスタント(レトルト)でも満足だったが、しばらくしてそれでは物足りなくなってくる。その後は万人が通る道として「カレールー」で自炊するようになり、そしてやがて「ルー」では味が安定するけどいつも同じ味、そのルーの味からは脱却できないのでそれでは満足できなくなり、出来合いのスパイスを色々試し始める。あるいは、カレースパイスを分解分析し、様々な大元のスパイスを調査し始め、カレーの魔力に完全に取り込まれてしまった。当然だがカレースパイスは奥が深い。同じスパイスというのは殆どない(らしい)。
だが、そこでも凡人投資家の手抜き・打算的思考がムズムズと擡げてしまった。
ある時、カレーを作っていた。
山盛り大量の玉ねぎをみじん切りにして、大鍋で長時間炒める。面白くもなんともない、単純な作業だ。だが鍋の前からは離れられない。強火で熱い。とても面倒だ。
そして、こう考えた。
何で俺はカレーが食いたいのに、こんなに「玉ねぎ炒め」に時間をかけなきゃいけないのか?玉ねぎ炒めは美味しいカレーライスには欠かせないのは分かるが、玉ねぎ入り野菜炒めが食いたいのでは無いのに、そもそも面倒だ。カレーには玉ねぎが必須と誰が決めたのか。凡人投資家は面倒が一番嫌いだ。面倒は省略すべきだ。少なくとも省略できるか検討すべきだ。
そこから玉ねぎを省略し、トマトを省略したり、コリアンダーもヨーグルトも省略したり、そもそも最初に野菜等を炒めたり煮込むのも面倒だとなり、その他手抜きのため紆余曲折あって、ついに(俺の勝手な)真理に辿り着いた。
俺はカレーライスが食いたいわけでもなく、カレーシチューやカレーうどんでもなく、カレースパイスが好きなのだ。良いカレースパイスというのは恐ろしいほど人を惹きつける。醤油を舐めるために刺身を食うというのを聞いたことがあるが、あれと同じ感覚だ。カレースパイスを嗅ぐためにカレーを喰っているのだ。いわゆるカレー臭だ。
ダジャレはいいとして、「カレーライス」ではなく「カレースパイス」愛好は、俺だけではない。なぜならカレー屋の近くを通ればカレー好きはみんな必ず鼻を利かせ、時には美味い美味くないといったところまで自分の「カレースカウター」で判断する。美味しそうで時間があれば、まず間違いなくフラフラ~っとそこに入ってしまうだろう。あれは当然カレーに入っている食材の匂いでは無い。他でもないスパイスの力だ。だから乱暴に言うと良いスパイスが利いていればなんでも良い。カレースパイスにはまだ知られていない、恐ろしい魔力があるのではないだろうか。依存性があるのだろうか。
という事で、現在に至るまで飽きずにカレースパイスを調査し、試作し、調合の情報を集め、カレー達人の意見なども参考にしながら、常にスパイスとして胡椒的に様々な食事に使っている。カレー好きだが作るのが面倒という人には、料理にスパイスを聞かせてみるのを是非お勧めしたい。もちろん、合わない食材・料理も多いので試しながらだ。カレースパイスが合わない料理も多い。どうだろうか。