人気スポーツの放映権について考える。
今更だが、サッカー男子日本代表が2022年ワールドカップ大会への出場を決めた。
それ自体はめでたいのだが、地上波で観戦出来なかったことが取り沙汰されている。最終予選も大詰め、勝てば出場決定の大一番をみんなが観られないのは何事かというわけだ。多くの潜在的視聴者、また当事者のサッカー協会関係者等、多方面から指摘されている。俺も放映権を持つネットワークにお金を払っていないので、観ることはできなかった。
だが、これは本当に由々しき状態なのか。俺はそうは思わない。なぜなら、潜在的視聴者というのは、ありとあらゆる分野で存在する。その大部分は放映されもせず、放映されたとしても専門チャンネルとか、地元地方局のみとかがある。世界的大会にしても、陸上とか、水泳とか、日本人が出場しないものだってたくさんある。それら全てを地上波でタダで放映しろというのは物理的にも無理だ。
だからといって、サッカーの様な人気のスポーツの特別扱いを視聴者が求めるのはおかしい。仮に野球が放送されてサッカーが有料のみとなったら差が出てしまう。放送局の予算もあるし、自分の観たいものがなぜ地上波でタダで観られないのかと嘆いてもしょうがない。大体、人気スポーツであれば需要があり、放映権が高額になる宿命にあるから、人気がある程、ある意味地上波はやれなくなる。
放送局は事業をやっているわけだから、放送するにしても採算が合うかどうかを考慮する。もし高い放映権を買って放送する場合はなおさらだ。需要が固い分野全ての放映権を買うことはできない。そもそも放送時間を確保できないかもしれないし、それだけの番組をつくる放送資源もないかもしれない。だから局の方も予算と投資効果を分析して、選択するわけだ。今回は選択の結果、地上波各局は放映権を買わなかった(買えなかった)だけのことだ。これは由々しき状態とは思えない。普通の事業判断だ。
ならば、例えばサッカーであれば、少なくとも日本代表戦だけやってほしいとか、せめて勝てば出場決定みたいな大一番だけでも地上波でやってほしいと思うかもしれない。だが考えてほしい。もし君が放映権を持っている側で、そう頼まれて、やすやすと簡単に「はいはい、それくらいいいですよ」と放送させてあげるだろうか。俺がその放映権を持っている方の会社の株主だったら複雑な心境になる。代表戦は何試合もあって、その中でも特に注目が集まる試合だけを頂戴したいなんて、あまりに虫が良すぎないか。
また、もしそんな事をしたら、それは事業に深刻な影響をもたらす可能性がある。まず第一に先日の代表戦を地上波に、相当のお金をもらったとしても放映させたら、自分たちの番組の視聴者は減ってしまう。つまり収入に影響する。それだけでなく、第二に、今まで視聴料を払ってきた顧客を失望させてしまうおそれがある。今後料金を払わなくなる(会員を辞める)かもしれない。ここでしか観られないからといって毎月払ってきたのに、土壇場で「国民皆で応援したいから」とか言い始めたら「果たしてサブスクの価値はあるのか?」と疑問に思ってしまう。逆に言うと、有料放送は大変視聴者が多かったようだから、事業としては大成功だった。放映権料も多少はペイしただろう。
こんな主張をすると「カネを払えない子供達はどうする、可哀想だ」という意見が出てくるかもしれない。そう言い始めると前述の通り子供が好きなのは何もサッカーだけではないから区別なく全て需要に応えようとすると無理がある。だが、それにしても「サッカー代表戦大一番」だと、子供にも人気ありそうだ。問題かもしれない。
だから冒頭の不満は「日本国民みんなで応援できないなんてサビシイ」と嘆くのではなく、せめて「お金を払えば自分の意志で観る観ないを決められる大人と違い、そのような権利の殆ど無い子ども達が観られないのは良くない」という問題提起ならまだ議論の余地はある。一方、歳をくった大人たち、稼ぎがある人達は金を払って観れば良い。
もし本当に地上波でやる必要があるなら、NHKの受信料を放映権分上げてNHKがやればいい。サッカーとプロ野球のコレコレの大会の放映権のためですとハッキリ使途がわかればテレビ所有者も納得するかもしれない。勝手な意見だが、どれくらいの予算か知らないが「大掛かりな時代劇」とか「毎日15分ドラマ」とかを1年もかけてやったりするより、スポーツ中継の方が国民に受け入れられているのではないだろうか。しかし興味がない人たちもいるから、これも難しい。
日本は地上波の無料放送(実際はNHK受信料を払っているが)での世界的大会の中継に慣れすぎて、その価値をどうも低く見てしまう傾向があるようだ。しかし地上波はもはやオワコン、好む好まざるに関係なく、今後は時代がこのようなサブスク等に急速に変わる。大人は本当に観たいならば金を払うのに慣れた方が良い。どうだろうか。